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◆2006/7/31
1ヶ月もの長い祇園祭が、今日、締めの「夏越祭」が31日行われました。八坂神社境内の疫神社で祭りの無事終了を感謝し、訪れた参拝者が疫病退散を願って大きな茅の輪くぐりしていました。
夏越祭は、スサノオノミコトが旅の途中、疫神社の祭神である蘇民将来にもてなされた返礼に、その子孫からは疫病を退ける約束をした、との伝承にちなむ神事。
参列者は高さ2メートルを超す茅の輪を順にくぐり、無病息災を願って茅(かや)を少しずつ抜いて持ち帰った。
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◆2006/7/24
祇園祭の還幸祭が24日夜、行われた。白い法被姿の担ぎ手たちが担ぐ3基の神輿。 還幸祭は、神幸祭(17日)で下京区四条通寺町東入ルの御旅所に迎えた八坂神社の神霊を、再び同神社に戻す神事です。午後5時すぎ、馬に乗った久世駒形稚児ら神宝行列に続き、中御座、東御座、西御座の各神輿が順に御旅所を出発。沿道の家々に提灯が飾られた氏子区域の三条、大宮、寺町などの通りを練り歩き、各所で神輿を高く上げて揺さぶる「差し上げ」を披露。男衆らの「ホイット、ホイト」の掛け声が街の中に響く。
神輿3基は午後10時ごろから深夜にかけて、八坂神社に順に到着。舞殿を3周し、名残を惜しむように何度も激しく揺さぶった後、舞殿に上げられた。
28 日夜には神輿を鴨川の水で清める「神輿洗い」が行われ、31日の夏越祭で1カ月に及ぶ祇園祭は幕を閉じる。 |
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◆2006/7/17
祇園祭の神幸祭が17日夕に行われ、3基の神輿が京都市東山区の八坂神社から下京区四条通寺町東入ルの御旅所へ巡行した。出発に先立ち神輿3基が同神社石段下で勢ぞろいし、法被姿の担ぎ手約1500人が荒々しく神輿を揺さぶりました。沿道の見物客は約1万4000人。
神幸祭は、神霊を中御座、東御座、西御座の3基の神輿で御旅所に迎える神事。それぞれ東山区、中京区、下京区にまたがる氏子区域を約4時間かけてめぐった。
午後6時すぎ、東大路通に面する石段下に神輿3基が集まり、白い法被の男衆らが「ホイット、ホイット」の掛け声に合わせ、神輿を高々と担ぎ上げる「差し上げ」や時計回りに回転させる「差し回し」を披露すると、見物客から拍手と歓声がわき起こった。
神輿は御旅所に1週間安置され、24日の還幸祭で八坂神社に戻る。 |
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◆2006/7/17
夏の雨の中山鉾巡行が行われた。雨降りの巡行は4年ぶり。4年前は巡行で前半に降雨があったが、土砂降りともいえる雨のなかでの巡行は「確か昭和の終わりごろにあったくらいで、終始降り続いたのは平成以降は初めてだそうです。(杉本秀太郎伯牙山保存会長談)
裏方の車方や大工方は雨のときほど大変なようだ。特に「辻回し」では滑りすないようにしなければならない。通常は乾いた路面に水をまいてすべりをよくするのだが、今回は逆だ。
山鉾巡行は動く美術館とも言われるが、今回は雨のため透明のビニールシートがかぶせられた。橋弁慶山は雨天で使う羅紗と呼ばれる黒色の懸装品を使い、函谷(かんこ)鉾などは鉾の後ろを飾る見送を外して巡行した。蟷螂山は人気のカマキリのからくりが動かせなく、残念だった。
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◆2006/7/16
祇園祭・宵山の日は断続的に降る雨の中で結構ぬれた人も多かったんじゃないでしょうか。
人出は35万人(午後9時現在、京都府警発表)だった。
午後6時からメインストリートでは歩行者天国になり、四条通や烏丸通は浴衣姿のカップルや家族連れら大変なことになってきた。しかし山鉾町では例年通り、ちまき売りの子どもが歌う「常は出ません、今晩限り」と童歌が聴こえてきて情緒たっぷりでした。午後11時ごろには、山鉾町の囃子方が「日和神楽」を奏でながら、各町会所と八坂神社御旅所を往復しました。
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◆2006/7/14
祇園祭、宵々々山です!山鉾32基がずでにそろい、夕方から歩行者天国となった四条通では昨年上回る約21万人(午後9時現在、京都府警発表)が繰り出した模様・・・
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◆2006/7/13
祇園祭、長刀鉾の稚児が「お位」を授かる「社参の儀」が13日、八坂神社で行われました。今年の稚児の西尾君が白馬で四条通を移動してるところです。社参は、神の使いとしての資格を得る儀式で、「お位もらい」ともいわれる。「5位少将、十万石」の格式を授かり、巡行が終わるまで精進潔斎する。
また、この日から、西尾君は地面を踏むことが許されずに町会所から「強力」と呼ばれる男性に担がれて白馬にまたがった。午前10時、禿の2人とともに出発。立烏帽子に狩衣姿で行進し、道中では朱傘をかざされ、蒸し暑い中をうちわであおがれながら移動。八坂神社南門で馬を下り、本殿でおはらいをうけ、稚児守りを授かった。 |
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◆2006/7/10
祇園祭の神幸祭(17日)と還幸祭(24日)で巡行する八坂神社の神輿を鴨川の水で清める「神輿洗い」が10日の夜に四条大橋で行われました。白い法被姿の男衆らが四条通に威勢のよい掛け声を響かせています!
神輿洗いとは『八坂神社の神輿3基のうち主神をまつる中御座を洗い清める』という儀式で、祇園祭に集まる神々を迎える意味もあるらしい。 午後7時半すぎから氏子ら約150人に担がれた神輿が四条通を進んだ。
飛び散る水しぶきは厄よけにきくとされてるようですので、ぜひ浴びてください^^ |
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◆2006/7/10
四条室町界わいで、鉾を組み立てる「鉾建て」が始まった。かなりの暑さの中で職人たちががんばって作業を進めています。
この日、長刀鉾や函谷鉾、月鉾、鶏鉾、菊水鉾の5基が鉾建てを行い、高さ約20メートル、重さ10トンを超す鉾の組み立ては、くぎを一切使わない「縄がらみ」という伝統的な手法で作られます。あたりは槌音を響かせ、いよいよ本番の山鉾巡行まで1週間です。正午ごろには土台となる櫓(やぐら)が姿を見せた。
鉾建ては3日がかりで行われ、14日には32基すべての山鉾が立ち並ぶ予定。詳しくは予定表で。
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◆2006/7/5
長刀鉾で吉符入りが行われ、身を乗り出すような所作の「太平の舞」を長刀鉾町会所で稚児が披露しました。
吉符入りは同町会所2階で行われ、保存会の役員や囃子方の方が見守る中、稚児と禿の名前を書いた吉符を神前に納め、稚児が「蝶とんぼの冠」をかぶり、振り袖と若草色の裃姿で、3人で舞いました。
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◆2006/7/3
祇園祭の船鉾に伝わる2つの神面の無事を確かめる儀式「神面改め」が下京区新町通仏光寺上ルの船鉾町会所であります。 室町時代の作と伝わる「本面」と江戸時代に本面に似せて彫られた「写し面」があり、ともに女性が穏やかな笑みを浮かべた表情なんですが、これを17日の巡行で、ご神体の神功(じんぐう)皇后像に写し面を付け、本面は当番の役員が携えて鉾に乗るわけです。毎年、船鉾の神事始めの「吉符入り」に合わせ、2つの神面を息がかからないように懐紙を口にして神面の無事を確認しました。 |
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◆2006/7/3
祇園祭の山鉾巡行の順番が決まりました!くじ取り式が2日、京都市中京区の京都市役所であり、くじ取らず8基以外がくじを引きました。「山一番」は、郭巨山で6年ぶりの山一番です。
桝本頼兼市長の立ち会いで始まり、議場に向かって大声で山鉾の名と順番を読み上げる。郭巨山を代表してくじを取った副行司の渡邊大記さん。長男が、山鉾巡行でくじ改めを務めるので実に親子くじだ。
くじ取り式は、巡行の先陣争いによる混乱を避けるために、明応9(1500)年に始まったといわれる。現在は、慣例で巡行順位が決まっている「くじ取らず」の山鉾8基を除いて巡行順を決める。
2006年巡行順
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◆2006/7/2
2日には函谷鉾や月鉾、菊水鉾など14町の格山鉾町で、神事始めの儀式「吉符入り」が行われましたよ。夕方からは祇園囃子(ばやし)の練習も始まりまして、町中あちこちで「コンチキチン」と祇園ムードになります。町会所に設けられた祭壇の前で八坂神社の神職がおはらいした後、羽織はかま姿の町関係者たちが祭りの無事を祈りました。
夕方からは各町会所の2階で「囃子始め」、そろいの浴衣を着た囃子方たちが笛や鉦(かね)、太鼓の練習です。
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◆2006/7/1
祇園祭の長刀鉾の稚児らが祭りの無事を祈願する「お千度」が、八坂神社で行われます。。山鉾町の多くでは、神事始めの「吉符入り」です。
午前10時から長刀鉾の稚児たちが境内に入り、白塗りに目元と口に朱を差した化粧を施し、保存会役員ら約30人とともに本殿に参拝。稚児と禿に選ばれたことを報告し、祭りの安全を祈願、続いて、朱傘をかざして本殿の囲を時計回りに3周しました。
これから夏越祭までの31日間、暑い夏がやってきます。 |
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◆2006/6/9
祇園祭の鷺舞、今年は中止されることになりました。 祇園祭の神事の一つとして八坂神社で行われ、観光客の人気を集めていたのが、今年は約50年ぶりに行われないことらしい。長く途絶えていた伝統的な舞を戦後に復活し、鷺舞保存会(木村正雄会長)が宵山の日などに奉納していたが、保存会と神社、氏子組織の対立が深まったからのようだ。
鷺舞は約600年前にあった「笠鷺鉾」の周りで舞われていたが、江戸時代の中期に途絶えた。1956年に京都大や同志社大の狂言研究会などでつくる鷺舞保存会が、祇園祭の鷺舞を伝えていた島根県津和野町から「逆輸入」して復活。経費を氏子組織が負担して、宵山の16日と山鉾巡行・神幸祭の17日、花傘巡行の24日の3日間、八坂神社境内で奉納されるようになった。白絹の羽をまとって雌雄のサギに扮(ふん)した舞い手2人が囃子(はやし)に合わせて優雅に舞い踊る姿が観光客を魅了していた。
保存会会長で設立当初から学生に舞を教えていた大蔵流狂言師木村正雄さん(77)は「苦労しながら続けていた割に、物心両面での支援が十分でないので、前から改善を要望していたが、かなえられなかった」と奉納中止を決めたという。
これに対し、神社の竹内幸平権宮司は「(木村さんが)高齢になり、50年を1つの節目にしたいと聞いている。中止は氏子組織の清々講社とも相談した結果だ。残念だが、やむを得ない」と話している。
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◆2006/6/7
唯一の生き稚児、長刀鉾の今年の稚児と禿(かむろ)が、長刀鉾保存会から発表されました。稚児を務めるのは左京区の西尾太一朗君(10)です。彼の感想は「(巡行当日の)注連縄(しめなわ)切りが楽しみです」だそうです。がんばってほしいですね。
補佐役の禿は中京区の増田伊眞(これまさ)君(11)と、西京区の浅見主(ちから)君(6)のお2人です。3人はノートルダム学院小(左京区)で学び、西尾君と増田君は5年生。浅見君は1年生ということです。
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