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祇園祭 最新ニュース

暑くなってきて、そろそろ祇園祭の季節です。祭は1ヶ月かけて行われる。もちろんメインの山鉾巡行はもうすぐ!それだけでなくても祇園祭の見所はまだまだたくさんあります。祭1ヶ月を追いかけてみます!

 

2007/7/31 
祇園祭を締めくくり 八坂神社で「夏越祭」


1カ月にわたる祇園祭を締めくくる「夏越祭(なごしさい)」が31日、京都市東山区、八坂神社境内の疫(えき)神社で催された。神社の関係者や神輿(しんよ)会、山鉾町の役員に加えて一般の参拝者も多く訪れ、直径2メートルの茅(ち)の輪をくぐって無病息災を願った。

 午前10時に始まった。森寿雄宮司が「季節外れの台風があったが、祇園祭はおおむね滞りなくすんだ。山鉾と神輿を見られるありがたさを今年もしみじみと感じた」とあいさつした。照りつける太陽のもと、参列者は汗をぬぐいながら茅の輪をくぐり「蘇民将来(そみんしょうらい)子孫也」と書かれた疫病退散のお札を受けた。

 八坂神社の夏越祭は、祭神・スサノオノミコトが旅の途中で出会った蘇民将来に厚いもてなしを受け、返礼に「蘇民将来子孫也」の護符を持つ人は疫病を退けると約束した故事にちなむ。疫病退散を祈る祇園祭の最後に、蘇民将来を祭神とする疫神社で夏を無事に過ごすことを祈る神事として知られている。

 


 

2007/7/31 
祇園祭の鉾櫓木材、文化庁要望で廃棄できず保管に苦慮

祇園祭の山鉾町が山鉾の櫓(やぐら)(骨組み)に使った古い木材の保管場所の確保に苦慮している。大きい鉾は重さ12トン。毎年の巡行で40人以上の囃子方を乗せるため、木材はどうしても傷む。その都度新調はしても、文化庁からの強い要望で古い部材を捨てたり売却したりできず、保管場所は増える一方だ。  「このままでは収蔵庫があふれてしまう」と山鉾町も困っている。
 文化庁伝統文化課によると、32基の山鉾のうち29基は重要有形民俗文化財。文書で記録を残しているものの、指定を受けた当時の木材がどのようなものか、またどんな使い方をしたのかを知るために現物を残すしかないといい「規則で決まっているわけではないが、保存を強く要望している」と話す。
 菊水鉾は南区に倉庫を持っている。今年、櫓をすべて新調したため、部材の数は倍になった。保存会副理事長の川塚錦造さんは「荒物(木材)は増えても収蔵庫は増えない」。函谷(かんこ)鉾は久御山町に家屋を借りて古い部材を保管していたが、昨年2月から向日市の貸倉庫を利用している。今年は1本500キロの石持(土台の木材)を2本新調した。古い石持は江戸時代の天保年間のものだけに保管は不可欠。「無期限に保管せよと言われても…」と困惑する。
  月鉾は「付き合いのある宇治市の工務店に置いている。好意に甘えている」。長刀鉾は「今のところは何とか町会所に収まっている」という。
  祇園祭山鉾連合会(京都市中京区)は収蔵庫建設のための基金1500万円を十数年前に積んだ。しかしバブル経済の崩壊で積み増しもできないまま現在に至っている。「古いものを大事にしなければいけないことは分かっているが…」と言葉を濁す。山鉾町は「補助金をもらっているから国の方針には従う」と声をそろえるが、保管には経費が掛かり、大きな負担となっている。



 

2007/7/24 
神輿勇壮 祇園祭・還幸祭


威勢のいい掛け声とともに勇壮に進む神輿(24日午後7時5分、京都市中京区錦小路通高倉西入ル)
 祇園祭の重要な神事・還幸祭が24日夜に行われた。3基の神輿(みこし)が京都市内中心部を勇壮に練り歩き、「ホイット、ホイット」の掛け声と出迎える氏子の歓声がかいわいに響いた。
  還幸祭は八坂神社(東山区)の神様を乗せた3基の神輿が御旅所(おたびしょ)(下京区四条通寺町)から氏子地域を回って八坂神社へ戻る儀式。
  午後5時過ぎから3基の神輿が順番に出発した。四条通や高辻通を進んで、もう一つの御旅所の御供社(ごくうしゃ)(中京区三条通黒門)へ向かった。3基とも見られる三条通や河原町通には大勢の市民が詰め掛けた。神輿に手を合わせるお年寄りの姿もあった。
  3基が戻った八坂神社では深夜、神輿から本殿へ神様を移す「御霊遷(みたまうつ)し」の神事が照明を消した真っ暗な境内で厳粛に営まれた。

 祇園祭は28日に神輿洗いがあり、31日の夏越(なごし)祭で終わりを告げる。


 

2007/7/24 
花笠巡行


華やかな行列が夏の京都を彩った花傘巡行(午前10時10分、京都市東山区四条通)
 祇園祭の花傘巡行が24日朝、京都市東山区の八坂神社を発着点に繰り広げられた。華やかな衣装で着飾った女性や鷺舞(さぎまい)の子、馬に乗った児武者(こむしゃ)、舞妓ら900人の行列が夏の京都を彩った。
  行列は八坂神社前の石段下を午前10時に出発した。子供神輿(みこし)を先頭に、祇園太鼓や獅子舞、久世六斎念仏が続き、車に乗って演奏を披露した。神社から四条通を西に向かい、河原町通を北上し、市役所前を経て寺町通を南下した。
朱傘の周囲に飾りを付け、車に乗せて動く花傘は3基の神輿が鎮座する御旅所(おたびしょ)=下京区=で立ち止まり、17日の山鉾巡行のようにくじ改めをして、神社に帰った。
花傘巡行は山鉾巡行の後祭(あとまつり)=24日=が前祭(さきまつり)=17日=に統合された1966年から、後祭に代わる行事として始まった。24日夜には八坂神社から迎えた神々を御旅所から3基の神輿で神社に戻す還幸祭がある。



 

2007/7/17 
祇園祭の「神幸祭」


八坂神社(京都市東山区)の祭神が神輿(みこし)に乗り、氏子地区を練(よ)りながら御旅所(下京区四条新京極)に渡る祇園祭の「神幸祭」が17日夜、行われた。神社の前の石段下に3基の神輿(みこし)が集結し一斉に差し上げられると、祭りムードは最高潮に達した。荒々しい神事に大勢の観客が酔いしれた。
祇園祭は神輿の神事と山鉾の行事が一体となって成り立っている。氏子地区の疫病退散を祈り、約1キロ西の御旅所にとどまり、還幸祭(24日)で再び神社に帰る神輿渡御は神事の中核となる。
3基の神輿は「神輿洗い」の神事(10日)から八坂神社の舞殿に並べられてきた。置かれた位置から中御座(ござ)、東御座、西御座と呼ばれ、神社の3つの祭神を乗せて渡る。
午後6時半、八坂神社を出発した。白い法被姿の担ぎ手が石段下で高々と差し上げ、また肩に担いだまま回転させる「差し回し」をして、神に敬意を表した。続いて神輿を激しく揺さぶり「ホイット、ホイット」のかけ声とともに、それぞれ分かれて祇園地域や河原町通の氏子地区を巡った。
午後9時ごろから順次、御旅所に到着し、安置された。


 

2007/7/17 
曇り模様の天気・本日山鉾巡行


祇園祭の山場、山鉾巡行が本日行われる。午前9時に四条烏丸から長刀鉾を先頭に出発し、南観音山までの計32基の山鉾が祇園囃子(ばやし)の音とともに京都市中心部を巡る。9時には長刀鉾を先頭に「エンヤラヤー」の掛け声のなか動き出し、注連縄切りも稚児が見事に切り落とした。神輿(みこし)は午後6時に八坂神社をたち、四条新京極の御旅所まで勇壮に練る。

  山鉾行事は国の重要無形民俗文化財。山鉾にかけられた豪華な懸装品や四条河原町などで巨大な山鉾の方向を90度変える「辻(つじ)回し」が巡行の見どころとなる。神輿渡御(とぎょ)は八坂神社前で3基の神輿を一斉に上げる「差し上げ」が有名だ。 午前9時現在で約1万5000人が沿道に集まってるそうです。

 


 

2007/7/16 
あばれ観音・南観音山


宵山を迎えた京都は、小雨ながらも35万人(午後9時、京都府警発表)が詰めかけました。
「常は出ません、今晩限り」。各山鉾町でもちまきの販売合戦がさかんにあり、宵山の雰囲気が最高潮でした。午後10時半ごろからは、17日の山鉾巡行が晴れるよう祈願して、各山鉾町から八坂神社、御旅所までを往復する「日和(ひより)神楽」もあり、南観音山では恒例のあばれ観音が行われました。
ご神体の楊柳(ようりゅう)観音を台座に布で縛りつけ、激しく振りながら町内をかついで回る。南観音山だけの珍しい儀式だが、「あばれ観音」が始まった明確な理由は不明だそうです。午後11時15分、町会所を台座は出発。南観音山を出す新町通蛸薬師−錦間の百足屋むかでや町を3周した。浴衣姿の若者ら約30人が「ワッショイ」と声をかけながら、ご神体を持って駆け抜け、深夜にもかかわらず、大勢の見物客が見守った。


 

2007/7/15 
台風を押しのけ!宵々山


祇園祭の宵々山が15日、各山鉾町でありました。3連休の中日にも重なり、山鉾町ではものすごい人が・・・。前年の2倍近い37万人(午後9時現在、京都府警発表)ということでした。

綾傘鉾では過去にない鉾前結婚式も行われ、素敵な一日となりました。綾傘鉾保存会の理事長さんの結婚式です。あたらしい試みでこれが盛んになったらどうなるのか。楽しみです。

また、復興を願ってる布袋山の保存会も懸命に粽販売など行っていて今後の展開が楽しみです。


 

2007/7/13 
雨中の稚児 長刀鉾・社参の儀


祇園祭の山鉾巡行で先頭を行く長刀鉾の稚児が八坂神社(京都市東山区)に参拝する「社参の儀」が13日、市民や観光客が見守るなか、厳粛に行われまいた。
 稚児が神の使いとしての資格を得て、十万石の大名・五位少将の格式となる儀式で「お位もらい」とも呼ばれる。
  今年の稚児を務める岡諄三郎君(8つ)=下京区=と禿(かむろ)2人、長刀鉾保存会の役員が雨のなか、午前10時前に町会所(下京区)を出発した。岡君は頭に金色の烏帽子(えぼし)をつけたりりしい姿。朱傘を差しかけてもらい、白馬に乗って四条通を八坂神社まで進んだ。神妙な面持ちで本殿へ正面から上がり、おはらいを受けてました。

江戸時代の大火で山鉾を焼失した祇園祭の大船鉾と布袋山が、今年も祭りを盛り上げようと張り切っている。 江戸時代末期の蛤御門の変の大火で消失した大船鉾(下京区新町通四条下ル)の保存会と布袋山(京都市中京区蛸薬師通新町東入ル)だ。再興に向けてがんばってほしいです。


 

2007/7/12 
長刀鉾、函谷鉾、月鉾、鶏鉾、菊水鉾の5基の鉾 曳初め


祇園祭の山鉾建てが進む京都市内で、5基の鉾の曳初(ひきぞ)めがあった。子どもからお年寄り、女性も綱を引けるとあって多く人が参加し、祇園囃子(ばやし)の音が響く中でお祭り気分を味わった。  
  4つの鉾町の隣接点で「鉾の辻(つじ)」とも呼ばれる四条室町界わいでは、午後2時から3時に曳初めがあった。函谷鉾では、下京中の生徒が歯を食いしばって綱を引いた。鶏鉾では、池坊短期大の女子学生や洛央小の児童が参加し、伝統の祭りを楽しんだ。下京中3年の中井千紘さん(14)は「前から山鉾を曳いてみたいと思っていた。綱がずしりと重かった」と話していた。 長刀鉾では、南座の9月公演の主演女優山村紅葉さんらが曳初めに特別参加がありました。
  13日午後3時には、北観音山や放下鉾、船鉾など新町通の鉾と曳き山の曳初めがある。




 

2007/7/11 
石持168年ぶり新調 祇園祭・函谷鉾


祇園祭の函谷(かんこ)鉾(京都市下京区)の鉾の土台となる2本の木材「石持(いしもち)」=写真=が168年ぶりに新調され、11日、鉾のやぐらに組み込まれた。重さ12トンの鉾と囃子方を支える。

 石持は長さが1本7メートルで重さは470キロ。保存会理事の松宮善三さん(91)が福岡県で木材商を営む戦友とともに3年がかりで樹齢300年のサクラの古木を見つけ、7年間収蔵庫で乾燥させて仕上げた。

 函谷鉾の石持は大きくて頑丈なサクラが使われる。松宮さんは「先輩も苦労してサクラの大木を探したと思う。新しい石持に先人の思いをのせて巡行したい」と話す。



 

2007/7/10 
四条大橋で神輿洗い

祇園祭の神輿(みこし)を鴨川の水で清める「神輿洗い」の神事が10日夜、京都市の鴨川の四条大橋で行われた。どしゃ降りの雨の中、八坂神社(東山区)の神職が神輿に水をふりかける儀式を大勢の氏子や市民が見守り、橋の上は熱気に包まれた。
  神輿洗いは、山鉾巡行(17日)の後の神幸祭に出る3基の神輿のうち、「中御座(なかござ)」を鴨川の水で洗い清める神事。
  午後7時ごろ、おけら火を頂いた大きな松明(たいまつ)が八坂神社を出発、四条大橋までを往復して神輿が進む道を清めた。その後、松明や提灯に先導された神輿が「ホイットホイット」の掛け声に乗って、午後8時前に四条大橋へ着いた。
  激しい雨が降る中、鴨川の水をつけたサカキを神職が神輿に向けて降った。この水にかかって厄よけしたいと、傘を差した市民が神輿を幾重にも取り囲み、興奮は最高潮に達した。


 

2007/7/10 
雨中で鉾建て/縄さばき
祇園祭の山鉾巡行を1週間後に控えた10日朝、京都市下京区四条通室町周辺で「鉾建て」が始まった。雨の中、職人たちが手際よく鉾を組み上げていき、かいわいは文字通り「鉾の辻(つじ)」となった。
この日は長刀、函谷、鶏、月鉾の4基が建ち始めた。大工方や手伝い方と呼ばれる職人が、木づちの音を響かせながら慎重に「やぐら」を組み上げた。くぎを使わずわら縄だけで柱をしばる「縄がらみ」の技法で、やぐらをがっちりと固定した。
作業中、時折、雨が激しく降りつけた。今年は宵々々山(14日)から宵山(16日)にかけて3連休と重なり、例年以上の人出が見込まれる。山鉾町の関係者は「天気だけが気がかり」と空模様に気をもんでいた。

 鉾建ては3日がかりで行われ、14日には32基すべての山鉾が建ち並ぶ。


 


2007/7/10 
ちまき型ストラップで厄よけを 浄妙山が販売
 
祇園祭の浄妙山(京都市中京区六角通烏丸西入ル)が今年、ミニちまき型の携帯ストラップ=写真=を厄よけちまきにつけて販売する。「厄よけの力もアップします」とPRしている。
 各山鉾町は例年、14日の宵々々山から厄よけのちまきやお守り、手ぬぐい、うちわを販売する。浄妙山のように四条通に比べて人出の少ない場所の山鉾町はグッズの話題作りに頭をひねる。
 浄妙山は6年前、お守り型の携帯ストラップを作ったところ好評だった。今回のミニちまきは本体が約4センチで、ササの緑色に仕上げた。ストラップは300円、ちまきとセットで700円。


 

2007/7/9 
明代の逸品公開。 占出山見送「鳳凰牡丹円紋」

祇園祭の占出(うらで)山(京都市中京区錦小路通烏丸西入ル)で、中国の明代に織られた古い見送「鳳凰牡丹円紋(ほうおうぼたんえんもん)」が14日からの会所飾りで公開される。同時代のつづれ織りの完成品として世界にただ1枚残った逸品。「約500年前の中国から京都へ伝わった縁を楽しんで」と占出山保存会は話す。
 この見送は1699(元禄12)年につくられた。縦2メートル、横1・4メートル。四隅に鳳凰を配し、中央に牡丹の花、上部には雲をあしらっている。約200年前に西陣織の見送がつくられた以降はほとんど使用していないという。
 1990年、米国のメトロポリタン美術館の染織担当者が見送を調査した結果、15世紀後半−16世紀初めにつくられた壁掛けと判明。同時代の物は分割された形でしか残っておらず、完成品として貴重な織物であることが確認された。
  見送は退色や糸のほつれなど傷みも激しく、これまでの会所飾りでは畳んだ状態で隅のほうへ置かれていた。今年は見送を広げ、掛けた状態で見物客に見てもらう。保存会の岸田安雄会長は「世界的にも貴重な見送をみんなに見てもらいたい」と話している。



 

2007/7/9 
蟷螂山でからくりおみくじ

 カマキリ形のからくりで知られる祇園祭の山鉾・蟷螂(とうろう)山(京都市中京区西洞院通四条上ル)で、14日の宵々々山から3日間、カマキリのからくりおみくじが町会所に設置される。
蟷螂山保存会は昨年からおみくじを始めた。お札に番号が付いている定番のおみくじだったが「意外に好評だった」ことから、今年は蟷螂山をさらにPRする方法を考えた。南区の工務店に依頼し、からくりおみくじを発案した。 ハンドルを回すとカマキリが手足や羽を動かしながら回転する。お社の扉が自動で開き、カマキリが番号付きの玉を受け取って、手元に運んでくれる。保存会は「蟷螂山のシンボルでもあるカマキリのからくりと人気のおみくじをドッキングさせた集大成」と胸を張る。


 

2007/7/9 
祇園囃子や棒振り踊り 菊水鉾と四条傘鉾、河原町で 出張演奏

 祇園祭ムードが高まる中、菊水鉾(京都市中京区)と四条傘鉾(下京区)の囃子(はやし)方が9日夜、中京区河原町通四条上ルの河原町OPA前で囃子を演奏した。道行く人が足を止め、情緒あふれる祇園囃子を楽しんだ。
午後5時半から、菊水鉾、四条傘鉾が約20分間の演奏を2回ずつ披露した。菊水鉾は囃子方の約30人がそろい、力強い音色を聞かせた。四条傘鉾は子どもたちの棒振り踊りも登場。地元の洛央小の児童が囃子に合わせて、棒を巧みに回したり、太鼓や鉦(かね)をたたいた。 この後、河原町通を三条通まで、囃子を奏でながら練り歩いた。市民や観光客は囃子の「出張演奏」に拍手を送り、携帯電話のカメラで盛んに撮影していた。

 出張演奏は、河原町商店街振興組合が祇園祭を盛り上げるため、毎年開いている。


 

2007/7/8 
綾傘鉾稚児、巡行の無事願う  祇園祭 6人が八坂神社へ社参

 もう一組の稚児たち、祇園祭の綾傘鉾(京都市下京区綾小路通室町西入ル)の稚児6人が7日、東山区の八坂神社に社参し、山鉾巡行の無事を祈った。稚児は、巡行の際に綾傘鉾の先頭を歩いています。

 6人は、町内の子どもとして受け入れる儀式の「結納の儀」を済ませ、午後2時半に八坂神社の南楼門から入り、本殿に上がった。金色の烏帽子(えぼし)に狩衣(かりぎぬ)姿の稚児はやや緊張気味だったが、名前を呼ばれると「はい」と大きな声で答え、森寿雄(ひさお)宮司から「祇園祭神役之事(しんやくのこと)」と書かれた宣状(せんじょう)を受け取り、正式な稚児と認められた。続いて、本殿の周囲を時計回りに3周して祭りの無事を祈った。


 

2007/7/5 
「太平の舞」 祇園祭 長刀鉾の吉符入り

 祇園祭の山鉾巡行で先頭を行く長刀鉾の神事始め「吉符入り」が下京区の長刀鉾町会所で行われました。稚児の岡諄三郎君が、巡行当日に鉾の上で舞う「太平の舞」を披露します。
  長刀鉾保存会の役員、囃子(はやし)方約70人も出席し、今年の稚児と禿(かむろ)の名前を記した吉符を神前に納め、祭りの無事を祈願しました。続いて稚児と禿が役員の前で舞い、禿が振るうちわの位置などのアドバイスを受けることになります。
ゆったりとした囃子が流れる中、稚児と禿の2人が四条通に面した町会所2階の窓辺に現れた。岡君は薄紫色の振り袖にもえぎ色の裃(かみしも)を着け、クジャクの羽を飾った「蝶とんぼの冠」を頂いた。手を大きく広げたり、身を前に乗り出して「太平の舞」を優雅に見せ、見物客の視線をくぎ付けにした。もう祇園祭は始まってます。
また、NPO法人で「あいらぶKYOTO」が祇園祭の宵々々山(14日)に京都府庁旧本館(京都市上京区)で浴衣一式を実費提供のうえ着付けもしてくれる行事を行います。当日はレセプションホールにあたる「正庁」で浴衣を着付ける。浴衣、帯、げた、着付けなどの一式を女性には5000円、男性は7000円で提供する。着替えた衣服を自宅やホテルに送るサービスも行う。
定員は先着200人。問い合わせ、申し込みは13日までに 府資産活用プロジェクトTel:075-414-5435まで。



 

2007/7/4 
船鉾 神面改め

 祇園祭の船鉾の吉符入りの3日、今年改修された京都市下京区新町通綾小路下ルの船鉾町会所で船鉾に伝わる神面の無事を確かめる「神面改め」の儀式が厳かに行われました。

 午前10時、町会所に保存会の役員らが参列し、八坂神社の神職がお払いをし、祇園祭船鉾保存会理事長)と町内会の会長)が並んで正座。息がかからないよう懐紙をくわえ、本面と写し面を木箱から取り出した。神妙な表情で神面を前方に掲げ、これまで通り変わりのない姿を披露した。  
  神面は室町時代に作られた本面と、江戸時代の写し面の二面あり、普段は金融機関の貸金庫で保管されている。17日の山鉾巡行では鉾の神体の神功皇后に写し面をつけ、本面は役員が携えて鉾に乗る。


 

2007/7/2 
くじ取り

  祇園祭のハイライト山鉾巡行(17日)の順番を決めるくじ取り式が2日、京都市役所の市議会議場(京都市中京区)で行われた。くじ取らずで常に先頭を行く長刀鉾に続く「山一番」は芦刈山となった。芦刈山が山一番になるのは36年ぶり。
 午前10時に始まり、山鉾町の関係者が羽織はかまやスーツ姿で議席に座った。あらかじめ決まった順番に登壇してくじを引き、立ち会い役の桝本頼兼市長に大きな声で山鉾の名と順番を告げた。
 くじ取り式は巡行の先陣争いによる混乱を避けるため、応仁の乱による山鉾の焼失から復興を果たした明応9(1500)年に始まったといわれる。長刀鉾や南観音山など8基は順番が決まっており、くじを取らない「くじ取らず」と呼ばれる。残る24基がくじをひく。

◆今年の巡行順は以下のとおり

【さきの巡行】(1)長刀鉾(2)芦刈山(3)太子山(4)白楽天山(5)函谷(かんこ)鉾(6)霰天神(あられてんじん)山(7)綾傘鉾(8)伯牙山(9)月鉾(10)木賊(とくさ)山(11)孟宗(もうそう)山(12)占出(うらで)山(13)鶏鉾(14)郭巨(かっきょ)山(15)四条傘鉾(16)油天神山(17)菊水鉾(18)保昌(ほうしょう)山(19)蟷螂(とうろう)山(20)山伏山(21)放下(ほうか)鉾(22)岩戸山(23)船鉾

【あとの巡行】(24)北観音山(25)橋弁慶山(26)鯉山(27)八幡山(28)鈴鹿山(29)役行者(えんのぎょうじゃ)山(30)黒主山(31)浄妙山(32)南観音山



 

2007/7/1 
今日から祇園祭!お千度と吉符入り

  祇園祭の長刀鉾の稚児や保存会役員が祭りの無事を祈願する「お千度の儀」が1日、京都市東山区の八坂神社で行われました。多くの山鉾町も神事始めの吉符入りを迎え、1カ月にわたって京の夏を彩る祇園祭が幕を開けます。
 午前10時前、今年の稚児を務める岡諄三郎君、補佐役の禿(かむろ)の浅見幸悠紀君、森田圭一郎君と保存会役員ら24人が南楼門から境内へ入った。岡君は白い化粧をほどこし、涼やかな振り袖に朱色のはかま姿。本殿に参拝した後、大きな朱傘を差し掛けてもらいながら本殿の周囲を3周します。
  また、函谷(かんこ)鉾や放下鉾など多くの山鉾町が吉符入りします。町会所で八坂神社の神職がおはらいした後、町衆が祭りについて打ち合わせた。夕方からは二階囃子(ばやし)も始まった。町会所から鉦、笛、太鼓の音色が聞こえてきて、1ヶ月間の祭の始まりが感じられてきました。


2007/6/19 
長刀鉾の車輪1基を修理

 祇園祭の山鉾巡行で先頭を行く長刀鉾(京都市下京区)で、車輪1基が新調され、1基が修理されました。修理では昔の車輪の残っていた部品に新しい部品を組み合わせ「エコな車輪」(長刀鉾保存会)がされたようです。
 長刀鉾の車輪の新調は約20年ぶり。樹齢300年の九州産のカシを数年間乾燥させた後、2カ月間かけて新しく作られた。直径1・95メートル、重さは500キロほどある。
  車輪は扇形に仕上げた7個の部品を組み合わせてつくる。今回の修理ではうち3個を以前に車輪を解体した際に保管していた古い部品が使われた。近年、車輪に使える良質な木材は手に入りにくいため、このような措置がとられたようです。
  鉾は10−12トンの重さがある。支える車輪は巡行に伴って少しずつ木が削れ、小さくなる。そのため5年をめどに解体し、部品を締め直している。

 
2007/6/12 

下水引の後面、250年ぶり 祇園祭・長刀鉾の幕を復元新調です

祇園祭・長刀鉾の下水引(したみずひき)「緋羅紗地五彩雲麒麟図刺繍(ひらしゃじごさいうんきりんずししゅう)」の後面が約250年ぶりに復元新調され、11日、長刀鉾保存会が公開した。鮮やかな朱色の地に、躍動感いっぱいの麒麟や金銀の雲がよみがえりました

 下水引は鉾の胴の上部に巻かれる。五彩雲麒麟図刺繍の原品は1755(宝暦5)年の製作。正面は20年前に復元新調されている。後面(縦68センチ、横2・8メートル)は明治以降、2回修理されたが、全体に色あせてきたため、約1年かけて新調です。

 原画をもとに、ほかの麒麟文様の作品も参考にして図柄が決められた。下地は朱色の緋羅紗地。麒麟はフェルトや綿を加えて立体感が演出された。雲も金糸や銀糸がふんだんに使われ、豪華に仕上がっている。費用は1250万円。残る左右の側面も今後2年かけて復元、新調ということです。


 
2007/6/7 

祇園祭 長刀鉾稚児が決まる!稚児の岡君、禿は浅見君、森田君

長刀鉾の稚児に、先頭を行く長刀鉾の稚児と補佐役の禿(かむろ)2人が決まりました。

 稚児を務めるのは下京区のノートルダム学院小3年の岡諄三郎(じゅんざぶろう)君(8つ)3年前の兄慶治郎さん(12)に続いて大役に挑む。「お兄ちゃんのお稚児を見て僕もやりたくなった。かっこよく(注連縄(しめなわ)を)切りたいです」と。
 禿は、ともに左京区の立命館小3年の浅見幸悠紀(こうき)君(9つ)とノートルダム学院小3年の森田圭一郎君(8つ)が務める。2人とも「選ばれてびっくりした。かっこよくやりたい」と抱負を語った。
  稚児たちは祭りの無事を祈願する「お千度の儀」(7月1日)やお位を授かる「社参の儀」(13日)などを経て、17日の山鉾巡行に臨むことになります。

去年のニュース



2007年巡行順 

【さきの巡行】(1)長刀鉾(2)芦刈山(3)太子山(4)白楽天山(5)函谷(かんこ)鉾(6)霰天神(あられてんじん)山(7)綾傘鉾(8)伯牙山(9)月鉾(10)木賊(とくさ)山(11)孟宗(もうそう)山(12)占出(うらで)山(13)鶏鉾(14)郭巨(かっきょ)山(15)四条傘鉾(16)油天神山(17)菊水鉾(18)保昌(ほうしょう)山(19)蟷螂(とうろう)山(20)山伏山(21)放下(ほうか)鉾(22)岩戸山(23)船鉾

【あとの巡行】(24)北観音山(25)橋弁慶山(26)鯉山(27)八幡山(28)鈴鹿山(29)役行者(えんのぎょうじゃ)山(30)黒主山(31)浄妙山(32)南観音山



※緑字はくじ取らず

 


>>巡行順はくじ引きによって毎年変わります
山鉾別インデックス(2007年巡行順序)
長刀鉾 芦刈山 太子山 白楽天山 函谷鉾 霰天神山 綾傘鉾 伯牙山 月鉾 木賊山 孟宗山 占出山 鶏鉾 郭巨山 四条傘鉾 油天神山
菊水鉾 保昌山 蟷螂山 山伏山 放下鉾 岩戸山 船鉾 北観音山 橋弁慶山 鯉山 八幡山 鈴鹿山 役行者山 黒主山 浄妙山 南観音山