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祇園祭 最新ニュース

暑くなってきて、そろそろ祇園祭の季節です。祭は1ヶ月かけて行われる。もちろんメインの山鉾巡行はもうすぐ!それだけでなくても祇園祭の見所はまだまだたくさんあります。祭1ヶ月を追いかけてみます!



2009/7/31
これで終了!夏越祭

祇園祭を締めくくる「夏越祭」が31日、八坂神社の境内摂社・疫(えき)神社で行われました。
  疫神社は八坂神社の祭神・素戔嗚尊(すさのおのみこと)を旅の途中でもてなした蘇民将来(そみんしょうらい)をまつる。「蘇民将来子孫也」と記した護符を持つ者は疫病を免れるとされ、祇園祭に奉仕する人々は護符を身につけて臨む。

 
  午前10時から神事を行い、森壽雄(ひさお)宮司が「梅雨が明けぬうちに祇園祭が終わったが、滞りなくできたのは皆様のご支援、ご奉仕のたまものです」とあいさつした。そのあとに 参拝者が茅の輪をくぐって厄を払い、護符を授かった。この神事で1カ月にわたった祇園祭は幕を閉じました。
  疫神社の鳥居には約2メートルの茅の輪が設けられ、参拝者が次々とくぐった。神輿(みこし)渡御や山鉾巡行に携わった人々も多く訪れ、祭りが無事終わったことを感謝し、護符を大切に持ち帰った。



2009/7/28
神輿洗い

祇園祭の「神輿(みこし)洗い」の神事が28日夜、京都市の四条大橋で行われた。市民が見守る中、神輿に鴨川の神水が振りかけられた。 10日の神輿洗いで鴨川の荒ぶる水の神様を八坂神社(東山区)へ迎え、祭りを催してもてなし、この日、人々の守り神として鴨川へおくる神事。
  午後8時前、松明(たいまつ)に先導され、「中御座」の神輿が八坂神社から四条大橋へ到着した。神職が神水を浸した榊を数回振り、神輿に神水をかけた。周囲は法被姿の輿丁(よちょう)や市民の熱気に包まれた。

2009/7/24
還幸祭

24日夕方には寺町の御旅所から宮本組を先頭に、中御座たちが京都市内を回りながら動き出した。「ほいっとほいっと」の掛け声をかけながら各神輿は順番にそれぞれの道を歩き出した。
夜の11時には3体の神輿が八坂神社に戻る。3基ある神輿のうち、中御座だけに弁当打ちの伝統が残る。 八坂神社(東山区)の祭神の素戔嗚尊(すさのおのみこと)を奉じる「中御座」、どんな弁当なのか食べてみたいもんですね。


2009/7/24
花笠巡行

山鉾巡行の前祭(17日)と後祭(24日)が1966年から17日の合同巡行に一本化されて以来、後祭に代わる行事として行われている花傘巡行が24日10時ごろから、京都市東山区の八坂神社を出発し、花傘をかぶった女性や子ども神輿(みこし)などの行列が動き出しました。知らない人は何か起こったかのように見入り、そして華やかな巡行に目を取られていました。

 7基の子ども神輿を先頭に、白い衣に色鮮やかな花傘を頭にかぶった花傘娘、金獅子、銀獅子など総勢約840人の一行は「わっしょいわっしょい」と叫びながら河原町通や御池通、寺町通を約2時間かけて巡りました。


2009/7/17
神幸祭

祇園祭の神幸祭が17日夕、京都市東山区の八坂神社で営まれた。祭神を奉じた3基の神輿(みこし)が氏子地域を練り歩き、夜に四条御旅所(下京区)へ向かった。

 八坂神社を出発した神輿は午後6時すぎ、石段下に3基がそろった。輿丁(よちょう)たちが高々と神輿を担ぎ上げ、掛け声に合わせて揺する「差し上げ」を行った。ぱらつく雨を吹き飛ばすような熱気、朱色の西楼門と金色の神輿の華やかな光景に見物客も沸き、盛んに拍手を送っていた。

 3基はそれぞれ祇園かいわい、三条通、寺町通、河原町通などを練り歩いた。輿丁の掛け声と飾り金具の揺れる音が夜の街に響いた。神輿は24日の還幸祭まで四条御旅所に鎮座する。


2009/7/17
堂々と!山鉾巡行

日本三大祭りの一つ、祇園祭は17日朝、若干小雨もあった京都市内四条通界隈でハイライトの山鉾巡行を迎えた。「動く美術館」と言われる華麗な懸装品に飾られた山鉾32基が囃子を奏でながら、巡行しました。

 「エーンヤラヤー」。午前9時、暫定一番の長刀鉾が車輪をきしませて出発!稚児が太刀を振り下ろして注連縄(しめなわ)を切り、「山一番」の芦刈山は「くじ改め」の大役を担う少年が緊張の面持ちで独特の所作を示した。  
  沿道には10万人(午前11時現在、京都府警発表)が詰め掛けた。強い日差しの下で行われた昨年の巡行より約3万人少なかった。


2009/7/16
最高潮!宵山

祇園祭は16日、宵山を迎えました。各山鉾町は暑さと人の熱気に包まれた。ちょっと小雨が降ったりもしたが、夕暮れ時に太陽がなかったため比較的涼しかった。昨年より5万人少ない31万人(午後9時、京都府警発表)が繰り出し、祭りムードは最高潮になった。

 歩行者天国となった目抜き通りの四条通は人で埋まり、新町通や室町通では情緒を求めて、商店に飾られた屏風(びょうぶ)をゆっくりと鑑賞する姿もあった。

 八幡山保存会(中京区新町通三条下ル)は今年から、住民寄贈の屏風を町内の4店舗で紹介した。見物客に好評で、「来年はもっと増やしたい」(保存会役員)と喜んだ。


2009/7/15
天候もよし宵々山

祇園祭は今日、宵々山を向かえ、各山鉾町は盛り上がった。
午後9時時点で、昨年より2万7000人少ない、21万3000人(京都府警発表)の人出があったみたいで、新町、室町は大変混雑していた。
各山の町会所では浴衣姿の子どもたちが「つねはでません、今明限りー」と粽はもちろん、手ぬぐい、最近はDVDや雑誌もおいてるんですね。私が見た鈴鹿山では少女の声がスピーカーから聞こえてきて聞きやすかったです。
今日と明日で山場を迎えるので、粽等お買い忘れのないように。

2009/7/15
浄妙山懐紙を授与品に

祇園祭の浄妙山保存会(京都市中京区六角通室町東入ル)は、新しい授与品として「懐紙」を売り出しそうです。
  懐紙は菓子を取り分けるだけでなく、一筆せんや、折りたたんでぽち袋やはし袋としての使い方も提案している。横17センチ、縦14センチの和紙が20枚入って300円。
  浄妙山では一昨年から授与しているちまき型の携帯ストラップが大人気。女性たちは「懐紙もストラップのように喜んでもらえれば」と話している。16日まで販売する。

2009/7/14
宵々々山・熱気の山鉾町

14日は宵々々山です。相変わらずの熱気ですが、 京都市中心部には見物客が繰り出していましたので行ってきました。 下京区や中京区の山鉾町一帯は、午後6時から歩行者天国になり、四条通や烏丸通は人の流れが比較的スムーズだったが、露店が並ぶ室町通や新町通では身動きがとれない場所もあった。14日は15、16日よりすいているし、鉾に登りやすい日でもあるのでお勧めです。

 宵々々山の人出は約12万人(午後9時現在、京都府警調べ)で、昨年より1万人多かった。


2009/7/14
白楽天山、舁山に車輪取り付ける

祇園祭の山鉾の一つ、白楽天山保存会(京都市下京区室町通綾小路下ル)は、巡行時に山を支える車輪を新たに製作し、13日にかき初めをした。従来の4輪から6輪に増やし、衝撃を吸収するために鉄製のサスペンションを導入した。

 1964年製の従来の車輪(直径30センチ)より大きい2輪の主車輪(同36センチ)を中央に配置し、四隅に補助車輪(同20センチ)を付けた。車軸と台座の間に、振動に合わせてしなる長さ80センチの弓状サスペンションを設置した。

 白楽天山保存会の福井貫二理事長(53)は「車輪の直径が違うため、かいて進むと山全体が上下に揺れ、風情がある。かきやすい高さを調整しながら、他の山でも活用できるようにしたい」と話す。

 かき山はもともと人が担いでいたが、かき手不足のため63年に一部の山が車輪をつけて以来、他の山も続いた。最近は車輪が老朽化したため、今年の巡行では祇園祭山鉾連合会が各山の車輪の状態を調べる。


2009/7/13
祇園祭・社参の儀

祇園祭の山鉾巡行で先頭を進む長刀鉾の稚児が八坂神社(京都市東山区)に参拝して「神の使い」となる「社参の儀」が13日、同神社で営まれました。   稚児は八坂神社から神木の杉の葉でくるんだ「杉守り」を授かり、神の使いとなる。同時に五位少将、十万石の大名の格式を得たとみなされ、「お位もらい」とも呼ばれる。
  午前10時、今年の稚児・今西優太朗君(9)=左京区=と禿(かむろ)2人、長刀鉾保存会の役員ら一行が町会所(下京区四条通烏丸東入ル)を出発した。今西君は金の立烏帽子(たてえぼし)に水干姿。白馬に乗って八坂神社へ進んだ。
  途中、四条大橋上で今西君が所属する八坂神社の氏子組織「宮本組」が祝いの口上を述べた。 神社到着後は本殿で神事に臨み、神の使いとなった稚児は強力(ごうりき)に担がれて境内を後にした。



2009/7/12
曳初開始!長刀鉾、函谷鉾、月鉾、菊水鉾、鶏鉾

祇園祭の鉾や曳山(ひきやま)が建ち始めた京都市の中心部で、鉾の曳初(ひきぞ)めが行われました。今夏最高の33・6度(京都地方気象台調べ)を記録した猛暑の下、汗をかきながら綱を引いて大きな鉾を動かした。
  曳初めをしたのは四条通と室町通に建つ長刀鉾、函谷(かんこ)鉾、月鉾、菊水鉾、鶏鉾。「鉾の辻(つじ)」と呼ばれる四条室町交差点付近は日曜日と重なり、人でごった返した。
  曳初めは市民が鉾をひける唯一の機会とあって、親子連れや浴衣姿の若者が綱に群がり、力を合わせて鉾を引っ張った。兵庫県川西市の藤原徹さん(35)、美紀さん(32)夫妻は「綱が引けて満足です。ギシッと動いた時は感動しました」と話した。また、夕方には一部の鉾の駒形提灯に火がともった。

 13日午後3時からは新町通に並ぶ北観音山、南観音山、放下鉾、船鉾、岩戸山の曳初めがある。


2009/7/12
各鉾町・鉾建

京都の暑いさなか、鉾建が厳かに行われています。
天気もよかった12日、月鉾に行ってきました。
日曜日ということもあって、観光客も多く、道路もかなり混雑し、四条通は特にひどかったです。
新町、室町どおりではすでに車両制限していますし、歩行者も十分注意して見学しましょう。

鉾建の様子

2009/7/10
神輿洗い式。四条大橋にて

祇園祭の神幸祭(17日)を前に、鴨川の水の神様を神輿へ迎える神事「神輿洗い」が10日夜、京都市中京、東山区の四条大橋で営まれた。法被姿の輿丁(よちょう)たちが威勢良く神輿を担ぎ、祇園かいわいに「ホイットホイット」の掛け声がこだましてました。
  その昔、鴨川のはんらんによる疫病と災害を恐れた人々は、荒ぶる水の神様を迎え、祇園祭を催してもてなすことで自らの守り神様としたというところから始まったそうだ。
  午後7時40分ごろ、「中御座」の神輿が八坂神社(東山区)を出発。松明(たいまつ)に先導されて四条通を進んだ。四条大橋の中央北側で神輿は止まり、神職が鴨川の神水を榊(さかき)にひたして神輿へ振りかけた。橋の歩道には神水のしぶきを求める市民が詰め掛け、熱気にあふれた。


2009/7/9
菊水・四条傘鉾、河原町通練り歩き

今日は、菊水鉾(京都市中京区)と四条傘鉾(下京区)の囃子(はやし)方が9日夜、中京区の河原町通の商店街を練り歩き演奏を行いました。祇園祭の風情が漂ってます。
河原町商店街振興組合が毎年この時期に催しているもので、 四条河原町交差点に近い商業ビル前で午後5時半、菊水鉾の囃子方が「ソーレ」と威勢のいいかけ声を交えて、笛と鉦(かね)、太鼓による息の合った演奏を響かせた。四条傘鉾は囃子に合わせて、洛央小の児童が棒を巧みに回したり、踊りながら太鼓や鉦をたたいた。
  日が暮れた午後7時すぎには三条通まで練り歩きながら囃子を奏でたり、別の商業ビル前で演奏した。

2009/7/9
八坂神社で綾傘鉾の稚児6人祇園祭の安全願う

祇園祭の綾傘鉾(京都市下京区綾小路通室町西入ル)の稚児に選ばれた5〜8歳の男児6人が7日、東山区の八坂神社を社参し、山鉾巡行(17日)の無事を祈願しました。
  午後2時半、6人は烏帽子(えぼし)に狩衣(かりぎぬ)を身に着け、朱の傘を差されて南楼門から境内に入った。本殿で神職から1人ずつ名を呼ばれ、「神の役」を務めることを認める「宣状」を受け取った。続いて本殿を3周しながら正面と背面で手を合わせ、巡行の無事を祈願しました。 稚児は巡行時に綾傘鉾の先頭を歩きます。

【天池紘汰(6)=宇治市▽中嶋孝太(5)=京都市右京区▽飛田修輔(5)=同▽田中雅都(5)=同▽多門瞭(7)=上京区▽吉岡遊歩(8)=中京区 】


  2009/7/9
10〜18日、四条通などで交通規制有り
祇園祭に伴い、日から巡行翌日の18日まで、京都市中京区と下京区の四条通周辺で臨時の交通規制を実施されます。
鉾建て ・  14日 ・  宵山 宵々山  ・  山鉾巡行 
注意してください。   

2009/7/7
綾傘鉾稚児、山鉾巡行の無事を祈願

祇園祭の綾傘鉾(京都市下京区綾小路通室町西入ル)の稚児に選ばれた5〜8歳の男児6人が7日、東山区の八坂神社を社参し、山鉾巡行(17日)の無事を祈願した。

 午後2時半、6人は烏帽子(えぼし)に狩衣(かりぎぬ)を身に着け、朱の傘を差されて南楼門から境内に入った。本殿で神職から1人ずつ名を呼ばれ、「神の役」を務めることを認める「宣状」を受け取った。続いて本殿を3周しながら正面と背面で手を合わせ、巡行の無事を祈願した。

 稚児は巡行時に綾傘鉾の先頭を歩きます。

 今年の稚児は次のみなさん。天池紘汰(6)=宇治市▽中嶋孝太(5)=京都市右京区
▽飛田修輔(5)=同▽田中雅都(5)=同▽多門瞭(7)=上京区▽吉岡遊歩(8)=中京区。


2009/7/5
「太平の舞」披露 祇園祭 長刀鉾で「吉符入り」
祇園祭の山鉾巡行(17日)で先頭を進む長刀鉾の「吉符入りの儀」が5日、京都市下京区の町会所で営まれました。稚児の今西優太朗君(9)が巡行時に鉾の上で舞う「太平の舞」を市民に披露しました。

 長刀鉾保存会の役員や囃子(はやし)方など約80人が出席し、平田隆志理事長が今年の稚児と禿(かむろ)の名簿を吉符として神前に納めた。今西君と禿(かむろ)の宮下凌太朗君(10)、深田直貴君(9)は太平の舞を役員に見てもらった後、四条通に面した町会所2階に姿を現した。

 今西君は「蝶(ちょう)とんぼ」の冠をつけ、藤色の振り袖に若草色の裃(かみしも)のりりしい姿で、天下太平と五穀豊穣(ほうじょう)を祈って市民の前でも舞い、大きく身を乗り出すと拍手が沸き上がった。途中でほほ笑む余裕も見せ、「早く鉾に乗って舞いたい」と力強く話した。


2009/7/4
祇園祭・蟷螂山に新わらべ歌
祇園祭の蟷螂(とうろう)山保存会(京都市中京区西洞院通四条上ル)は、お守りやちまきを売る時に歌う「わらべ歌」をつくった。もともとは山のわらべ歌があったと思われるが、休み山だった百余年の間に伝承されなかった。「カマキリおみくじ」といった蟷螂山ならではの歌詞の入った歌が完成し、「最先端のわらべ歌」と喜んでいる。
  蟷螂山は1981(昭和56)年に山鉾巡行に復帰したが、わらべ歌はなかった。3〜4年前から、近くの山鉾町のわらべ歌に独自の歌詞を乗せて歌っていたが、2年前に新たに作ることにした。
  堀川高音楽科(現・京都市立音楽高)出身の作曲家尾上和彦さん(67)=奈良市=に依頼した。ほかの山鉾町のちまき売りの歌を参考に採譜し、「京都弁のイントネーションと少し違うように歌われている部分があり、蟷螂山の歌は、京都弁独特の優しさを生かした旋律にした」と話す。
  歌の前半の歌詞はほかの山鉾町とほぼ同じ。後半、ろうそくを売る歌詞が多いほかに対して、名物になったカマキリのからくりおみくじを取り入れ、「♪からからからくり からくりおみくじ カマキリおみくじ どうどすえ」と歌う。さらにTシャツなど現代版の授与品も登場する。
  蟷螂山は町内にファミリーマンションが点在し、子どもも多い。14〜16日のちまき売りに向けて新しい歌を練習している。保存会評議員の本井元康さん(68)は「山が復活したとはいえ、足らないものや不十分な状況がある。わらべ歌もその一つだったが完成して良かった」

2009/7/3
「神面改め」 祇園祭の船鉾保存会

祇園祭の山鉾の一つ、船鉾保存会は3日、神事始めの吉符入りに合わせて「神面改め」の儀式を町会所(京都市下京区新町通綾小路下ル)でありました。。古来伝わる神面を神妙に掲げて無事を確かめる儀式です。

 午前10時、町会所2階の祭壇に向かって神職が祝詞を挙げ、吉符入りの神事を営み、続いて保存会常任理事の丸橋博之さん(57)と船鉾町内会長の辻建次さん(57)が息がかからないよう懐紙をくわえて木箱を開けた。神妙な表情で、室町中期に作られた本面と江戸期の写し面を取り出し、微笑を浮かべる面を長江治男理事長(76)ら役員に示した。

 17日の巡行では、神体の神功皇后に写し面をつけ、本面は役員が携えて鉾に乗ることになります。


2009/7/2
祇園祭 くじ取り式 「山一番」は芦刈山

祇園祭の山鉾巡行の順番を決める「くじ取り式」が京都市役所の市議会議場で行われた。先頭の長刀鉾に続く今年の「山一番」は、芦刈山が2年ぶりに引き当てた。

巡行順を巡る山鉾町の争いを避けるため、1500(明応9)年に始まった伝統行事。

議場には32の山鉾町の代表が羽織袴の正装で集まり、祇園祭山鉾連合会の深見茂理事長、八坂神社の森壽雄宮司らが見守った。

 くじ取り式は門川大作市長の立ち会いで午前10時から始まった。長刀鉾や函谷鉾など慣例で順番が決まっている「くじ取らず」の8基を除いた24基の代表が、予備くじの順にくじを引いた。 「芦刈山、山一番」。芦刈山保存会常任理事の藤本進さん(62)の大きな声が響くと議場が一瞬沸き上がった。芦刈山は一昨年に続き、戦後3回目の山一番。「まさか今年も山一番を引くとは。早速、町内に報告したい」と言ってはりました。

2009年の巡行順は以下に記載


2009/7/1
京阪京橋駅に祇園祭の提灯

なにかと祇園祭時期におせわになる京阪電車の京橋駅に提灯がともりました。
夏を味わえる祇園祭、今年も暑さが予想されますが、なんとか晴れてほしいですね。

2009/7/1
祇園祭幕開け  「お千度の儀」 山鉾町が吉符入り

京都の夏といえば・・・・祇園祭。が1日、吉符入りしました。京都市中京、下京区の多くの山鉾町が神事始めの吉符入りを迎え、長刀鉾(下京区)の稚児は八坂神社(東山区)に参拝、祭りの無事を祈願する「お千度の儀」に臨んだ。

 午前10時前、今年の稚児を務める今西優太朗君(9)=左京区=、禿(かむろ)の宮下凌太朗君(10)=同=、深田直貴君(9)=中京区=と長刀鉾保存会の30人が南楼門から境内へ入った。今西君は新調した「涼み衣装」の振り袖に朱色のはかま姿で本殿に参拝し、父親に手を引かれて本殿の周りを3周した。

 また、函谷(かんこ)鉾や月鉾、岩戸山など15の山鉾町がこの日吉符入りした。夜には「二階囃子(ばやし)」も始まり、「コンチキチン」の音色が祭り風情を盛り上げる。


2009/6/24
祇園祭山鉾連、新調に備え、舁き山20基の車輪を調査

 祇園祭山鉾連合会(京都市中京区)は7月17日の山鉾巡行で、舁き山20基の車輪の状態を調査する。車輪をつけて40年以上たち、不具合が生じた山もあることから、今後の新調に備えて現状や問題点を探ることにした。

 舁き山はもともとは人が担いでいたが、かき手の確保が難しくなり、1963(昭和38)年、保昌(ほうしょう)山(下京区東洞院通松原上ル)が最初に車輪をつけた。その後、ほかの山も車輪をつけた。

 車輪はバーベルの形をしており、直径は20センチほど。重さは全体で80キロ程度とみられる。車輪の外側の枠に舁き山の足を差し込んで固定する。

 2005年の巡行で、浄妙山(中京区六角通室町東入ル)の山がぐらつき、翌年、一部欠けていた車輪のゴムとすり減ったベアリングを取り換えた。この際、高谷皎二・浄妙山保存会理事長が「かき山の車輪は同時期につけているので一度調査してはどうか」と連合会に提案した。

 今回の調査は河原町通の四条通−蛸薬師通で行う予定。車輪のゴムの減り具合や、舁き山がきちんと進んでいるかなどを目視で確認し、映像に納める。

 山鉾連合会の深見茂理事長は「45年前に導入した車輪は、かき山の重さを約1トンと想定したが、昨年の測定で重量はその半分以下と分かった。かき山の重量と調査結果を踏まえて、新調する際は最良の車輪にしたい」と話す。(写真は浄妙山)


2009/6/17
長刀鉾、下水引を復元新調  254年ぶり!

 祇園祭の山鉾巡行の先頭、長刀鉾(京都市下京区)を飾る下水引(したみずひき)「緋羅紗地五彩雲麒麟図刺繍(ひらしゃじごさいうんきりんずししゅう)」の右面が254年ぶりに復元新調され、長刀鉾保存会が17日、発表した。今回で下水引の前後左右4面すべての復元新調が完了しました。

 下水引は鉾の胴の上部を飾る。元の下水引は江戸時代中期、狩野派の絵師の下絵を基に作られた。明治と昭和に大修理が施されたが、色あせてきたために復元新調することになりました。

 横約3・8メートル、縦0・8メートル。朱色の地に3頭の麒麟が刺繍で雄々しく表現され、ガラスの目がすごみをきかせている。金糸の雲も華やかだ。費用は1500万円!!。今年の山鉾巡行は、下水引をはじめ、すべて復元新調の懸装(けそう)品で臨む。平田隆志・長刀鉾保存会理事長は「いっそう豪華絢爛になる」と話した。


2009/6/9 
祇園祭 長刀鉾稚児が決まる!親子2代で大役

祇園祭で山鉾巡行(7月17日)の先頭を進む長刀鉾の今年の稚児と補佐役の禿(かむろ)2人が決まり、8日、長刀鉾保存会が発表した。

 稚児は左京区の北白川小3年の今西優太朗君(8)=和菓子店「鍵善良房」社長今西善也さん(36)長男。善也さんは1983年に稚児を務めており、祖父の今西知夫さん(61)は現在、八坂神社(東山区)のおひざ元、弥栄学区の氏子組織「宮本組」の組長だ。

 優太朗君も宮本組の一員として、神輿(みこし)洗いの際に神輿を先導する行列に加わってきた。親子二代で長刀鉾稚児の大役を担うことになり、「お父さんよりかっこよくやりたい」と、早速注連縄(しめなわ)切りのポーズをとってみせた。

 禿は左京区の錦林小4年の宮下凌太朗君(10)=呉服販売宮下貴行さん(40)長男=と、中京区の洛中小4年の深田直貴君(9)=染呉服製造卸深田和行さん(46)長男=が務める。2人は「鉾に乗るのが楽しみです」と笑顔を見せた。



去年のニュース


2009年巡行順 

【さきの巡行】
(1)長刀鉾(2)芦刈山(3)白楽天山(4)霰天神(あられてんじん)山(5)函谷(かんこ)鉾(6)孟宗山(7)四条傘鉾(8)郭巨(かっきょ)山(9)月鉾(10)蟷螂(とうろう)山(11)油天神山(12)占出(うらで)山(13)菊水鉾(14)太子山(15)綾傘鉾(16)伯牙山(17)鶏鉾(18)木賊(とくさ)山(19)保昌(ほうしょう)山(20)山伏山(21)放下(ほうか)鉾(22)岩戸山(23)船鉾

【あとの巡行】
(24)北観音山(25)橋弁慶山(26)黒主山(27)鈴鹿山(28)八幡山(29)役行者(えんのぎょうじゃ)山(30)鯉山(31)浄妙山(32)南観音山

※ 緑字はくじ取らず ※赤字は傘鉾シード

 

>>巡行順はくじ引きによって毎年変わります
山鉾別インデックス(2009年巡行順序)
長刀鉾 芦刈山 白楽天山 霰天神山 函谷鉾 孟宗山 四条傘鉾 郭巨山 月鋒 蟷螂山 油天神山 占出山 菊水鉾 太子山 綾傘鉾 伯牙山
鶏鉾 木賊山 保昌山 山伏山 放下鉾 岩戸山 船鉾 北観音山 橋弁慶山 黒主山 鈴鹿山 八幡山 役行者山 鯉山
浄妙山 南観音山