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祇園祭 最新ニュース 2010版
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◆2010/7/31 夏越祭は、八坂神社の祭神の素戔嗚尊(すさのおのみこと)が、蘇民将来(そみんしょうらい)のもてなしの礼に「護符を持つ者は疫病から逃れられる」と約束したことにちなむ。祇園祭では護符を身につけて奉仕する。 午前10時から神事が行われ、森壽雄宮司が「(今年の祇園祭は)雨の日が多く心配していたが、滞りなくできたのは皆さまのご支援のたまもの」とあいさつした。笛や太鼓の音が響く中、参拝者はゆっくりと茅の輪をくぐり、祇園祭が無事に終わったことに感謝し、無病息災を祈っていた。 |
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28日夜8時すぎ、四条大橋で神輿洗いが行われました。少し小雨の降る中、「オイットー、オイットー」と威勢良い声が響いていました。松明(たいまつ)に先導され、「中御座」の神輿が八坂神社から四条大橋へ到着した。神職が神水を浸した榊を数回振り、神輿に神水をかけた。周囲は法被姿の輿丁(よちょう)や市民の熱気に包まれた。 |
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祇園祭の花傘(はながさ)巡行が24日、京都市内の中心部で行われた。強い日差しが照りつける中、色鮮やかな花傘をつけた花傘娘や花車など約840人の列が、四条通や河原町通などの繁華街を練り歩いた。 午前10時、子ども神輿(みこし)を先頭に東山区の八坂神社を出発し、「ワッショイ」と元気な声を響かせた。続いて、花車、金獅子、銀獅子などが約2時間にわたり駆け巡り、沿道を楽しませていた。 花傘巡行は、山鉾巡行の前祭(さきまつり)(17日)と後祭(あとまつり)(24日)が1966年7月の祇園祭から一本化されたのに伴い、後祭に代わる行事として始まった。 |
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◆2010/7/17 「エーンーヤーラーヤー」。午前9時すぎ、先頭を行く長刀鉾が音頭取りの掛け声を合図に、車輪をきしませて四条通烏丸を東へ出発した。四条麸屋町に差しかかると、稚児が太刀を振り下ろして、斎竹(いみたけ)に張られた注連縄(しめなわ)を切り、沿道から大きな歓声が沸き起こった。 四条河原町や河原町御池の交差点では、10トンを超す鉾を90度方向転換する「辻回し」が行われた。車方が路面に青竹を敷いて水をまき、その上に車輪を載せて、豪快に滑らせていた。 今年は土曜の巡行となり、昨年より約7万人多い約20万人(京都府警発表)が沿道に詰め掛けた。気温32・4度(午後1時現在)という暑さの中、目前を通り過ぎる山鉾の一基一基に目を凝らした。 |
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◆2010/7/15 天候曖昧・宵々山 15日の宵々山は7時〜雨が降り、客足も急ぎ足になったが、9時前にはやみ、暑さも少しおさまり涼しい一日でした。 休み山の大船山も祇園囃子を奏で、祇園祭は徐々に盛り上がっていくようだ。 雨のせいもあって 午後9時までの人出は10万人(京都府警発表)で、昨年より1万3千人少なかったようです。 |
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◆2010/7/13 午前10時過ぎ、稚児の徳力峰雪君(10)は、クジャクの羽根をあしらった「蝶(ちょう)とんぼ」の冠に金の立烏帽子(たてえぼし)をつけた水干(すいかん)姿。雨の中、白馬に乗り、禿(かむろ)2人と長刀鉾保存会の役員らとともに、下京区の長刀鉾会所を出た。 神社に到着した後、本殿で神事に臨み、「杉守り」を授かり、神の使いとなった。同時に、「正五位少将、十万石」の格式を授かった。 稚児は潔斎(けっさい)し、地面に足を着けることが許されず、食事や着替えなど一切の世話は父親が行うとされている。巡行当日、注連縄(しめなわ)を切り、32基の山鉾巡行を告げる大役を務める。 |
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◆2010/7/10 神輿洗いは、八坂神社(東山区)の3基の神輿のうち「中御座」を洗い清める神事。午後7時、松明(たいまつ)が八坂神社と四条大橋を往復する「道しらべの儀」があり、神輿が進む道を清めた。 中御座の神輿は午後8時前、「ホイット、ホイット」の掛け声を響かせて四条大橋に到着した。朝に鴨川からくみ上げた水を、神職が榊(さかき)をひたしては神輿に振りかけた。子どもを肩車をした氏子や歩道を埋め尽くした市民が、健康や厄よけを願って水しぶきを浴びていた。 |
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◆2010/7/08 祇園祭の綾傘鉾(京都市下京区綾小路通室町西入ル)の巡行で先頭を歩く稚児の男児6人が7日、東山区の八坂神社を社参し、祭りの無事を祈ります。 親に手を引かれた6人は烏帽子(えぼし)に狩衣(かりぎぬ)姿で南楼門から境内に入り、本殿でおはらいを受けた。一人ずつ名前を呼ばれると元気な声で返事し、森壽雄宮司から「宣状書」を受け取って神の使いとしての任命を受けました。 続いて「御千度の儀」を行った。普段は本殿の外を3周するが、激しい雨のため今回初めて本殿内で御神座の周りを歩きました。 今年の稚児は次のみなさん。 西田結篤(5)=下京区▽木下凌佑(3)=伏見区▽橋本忍(6)=右京区▽宮本克哉(5)=中京区▽石上明太(6)=中京区▽瀬川孝徳(5)=中京区 |
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祇園祭の山鉾巡行(17日)で先頭を切る長刀鉾の「吉符(きっぷ)入りの儀」が5日、京都市下京区の長刀鉾会所で行われた。稚児の徳力峰雪君(10)が巡行当日に鉾上で舞う稚児舞「太平の舞」を披露、無病息災などを祈願した。 吉符入りは神事始めの意味で、祭り期間中の無事を祈る。午後3時から、徳力君は、禿(かむろ)の井尻佳吾君(11)と本田崚君(9)の2人のほか、長刀鉾保存会役員、囃子(はやし)方ら約50人と一緒に神事に臨んだ後、四条通に面した会所2階に姿を現した。 徳力君はクジャクの羽を飾った「蝶(ちょう)とんぼ」の冠をつけ、ふじ色の振り袖に若草色のかみしも姿で、囃子に合わせ、ゆっくりと「太平の舞」を披露した。稚児係らに支えられ、会所の窓から身を乗り出すと、市民らはカメラのシャッターを切っていた。徳力君は「稚児係の方のおかげでとてもやりやすかった。鉾に乗る時は百パーセントで終わりたい」と話した。 |
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◆2010/7/04 神事始めの「吉符(きっぷ)入り」で行う伝統行事で、船鉾保存会常任理事の丸橋博之さん(58)と町会長の福田哲治さん(63)が、室町時代の「本面」と江戸時代の「写し面」を木箱から取り出して関係者に掲げた。巡行(17日)では写し面をご神体につけ、本面は木箱に納めて鉾に乗せることになってます。 同保存会は今年、鉾の両側面に飾る水引幕(いずれも縦約0・6メートル、横約2・7メートル)を176年ぶりに復元新調。濃い赤に金糸で八坂神社の紋を表現しており、175万円をかけた。13日の曳(ひ)き初(ぞ)めで鉾に飾り付け、巡行でも披露する予定。 神功皇后像の神面 本面は室町時代の文安年間(1444〜48)作で、安産守護の効力があるとされ、江戸時代には皇族の出産のために宮中に面を持ち込んだ。同時代後期の1864年に起きた火災では、町年寄が神面を火から守るため、竹やぶで三日三晩野宿したというエピソードが伝わり、町内で語り継がれているという。
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くじとり式が京都市役所で行われ、山一番は孟宗山が引いた。戦後10回目で最多一番。 (1)長刀鉾(2)孟宗山(3)木賊(とくさ)山(4)油天神山(5)函谷(かんこ)鉾(6)霰天神山(7)四条傘鉾(8)太子山(9)菊水鉾(10)伯牙山(11)山伏山(12)郭巨(かっきょ)山(13)鶏鉾(14)白楽天山(15)綾傘鉾(16)蟷螂(とうろう)山(17)月鉾(18)占出(うらで)山(19)芦刈山(20)保昌(ほうしょう)山(21)放下(ほうか)鉾(22)岩戸山(23)船鉾 【あとの巡行】 (24)北観音山(25)橋弁慶山(26)役行者(えんのぎょうじゃ)山(27)八幡山(28)黒主山(29)鈴鹿山(30)浄妙山(31)鯉山(32)南観音山 |
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◆2010/7/01 「お千度の儀」祇園祭・山鉾町は吉符入り 京都の夏を彩る祇園祭が1日、幕開けした。京都市東山区の八坂神社では長刀鉾(下京区)の稚児が「お千度の儀」に臨み、多くの山鉾町で神事始めとなる「吉符入り」が行われました。 午前10時、長刀鉾稚児の徳力峰雪君(10)=左京区=、禿(かむろ)の井尻佳吾君(11)=中京区=と本田崚君(9)=左京区=が保存会の役員と一緒に八坂神社を参拝し、祭りの無事を祈願した。白塗りの化粧に、華やかな薄紅色の振り袖とはかま姿の徳力君は、本殿の周りをゆっくりと歩いて3周した。 また、函谷(かんこ)鉾や月鉾、放下鉾など16の山鉾町では、町会所で吉符入りの神事が営まれた。夕方には祇園囃子(ばやし)を練習する「二階囃子」も始まり、祭りの風情を盛り上げます。 写真は南観音山、二階囃子です。去年のニュース |
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>>巡行順はくじ引きによって毎年変わります。 |
長刀鉾 | 孟宗山 | 木賊山 | 油天神山 | 函谷鉾 | 霰天神山 | 四条傘鉾 | 太子山 | 菊水鉾 | 伯牙山 | 山伏山 | 郭巨山 | 鶏鉾 | 白楽天山 | 綾傘鉾 | 蟷螂山 |
月鋒 | 占出山 | 芦刈山 | 保昌山 | 放下鉾 | 岩戸山 | 船鉾 | 北観音山 | 橋弁慶山 | 役行者山 | 八幡山 | 黒主山 | 鈴鹿山 | 浄妙山 |
鯉山 | 南観音山 |