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祇園祭 最新ニュース 2011版
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◆2011/8/6 仙台七夕 祇園祭の長刀鉾の囃子(はやし)方と綾傘鉾が6日、仙台市で始まった東北三大祭りの一つ「仙台七夕まつり」に参加した。東日本大震災からの復興と犠牲者の鎮魂がテーマの祭りで、被災地を鼓舞するように祇園囃子(ばやし)が杜(もり)の都に響いた。 平安時代前期までさかのぼる祇園祭の起源と、当時、東北地方を襲った大地震の発生が同じ年という縁で、祇園祭山鉾連合会(京都市中京区)が呼び掛けて実現した。連合会によると、祇園祭の山鉾が大規模な他の祭りに正式参加するのは初めて。 午後1時半、仙台市役所前の広場で、綾傘鉾1基がステージに上がり、長刀鉾の囃子が奏でられると大勢の見物客から拍手が起こった。 続いて、青竹につるした吹き流しや短冊が並ぶ商店街の近くに綾傘鉾を建て、夕方に駒形提灯がともされた。囃子方は、宵山に山鉾巡行の好天を祈って屋台で移動しながら奏でる「日和神楽(ひよりかぐら)」の形式で囃子を披露した。 |
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◆2011/7/31 夏越祭 1カ月にわたる祇園祭を締めくくる「夏越祭(なごしさい)」が京都市東山区の八坂神社境内の疫(えき)神社で営まれた。参拝者は祭りが無事終了したことを感謝し、茅(ち)の輪をくぐって無病息災を願った。 夏越祭は、八坂神社の祭神の素戔嗚尊(すさのおのみこと)が旅の途中に蘇民将来にもてなしを受け、返礼にその子孫の疫病を退散する約束をしたという伝承にちなむ。 神事には山鉾巡行や神輿(みこし)渡御の関係者らが参列。森壽雄(ひさお)宮司は「東日本大震災の復興を祈念した今年の祇園祭を滞りなく奉仕でき、感謝申し上げる」とあいさつした。 参列者は鳥居に設けられた直径約2メートルの茅の輪をくぐり、カヤや「蘇民将来之子孫也」と書かれた護符を持ち帰った。 |
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◆2011/7/24 還幸祭 祇園祭の還幸祭が24日、夕方行われた。17日から寺町の四条御旅所(おたびしょ)に鎮座していた3基の神輿(みこし)が、疫病退散を祈って氏子地区を勇壮に進み、深夜に八坂神社に戻った。 午後5時前から同6時半にかけて、中御座(なかござ)、東御座、西後座の各神輿が出発。別々のルートを進んで中京区三条通黒門西入ルにある御供社(ごくうしゃ)に向かった。途中の四条通のオフィスビル街では、輿丁(よちょう)と呼ばれる男衆の「ホイット、ホイット」の掛け声が響き、沿道の注目を浴びた。 3基とも通る三条通や寺町通では、神輿の渡御(とぎょ)が荒れまくった。 祇園祭は、28日に四条大橋で「神輿洗い」の神事があり、31日に、八坂神社境内の疫神社である夏越祭(なごしさい)で終わりを告げる。 |
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◆2011/7/24 花傘巡行 祇園祭の花傘巡行が24日、京都市東山区の八坂神社を出発し、繁華街を練り歩いた。色とりどりの花傘や子ども神輿(みこし)、囃子方(はやしかた)を乗せた屋台など総勢850人の列がにぎやかに進んだ。 1966年に山鉾巡行が17日の合同巡行となり、24日の後祭(あとまつり)の巡行がなくなったため始まった行事。約2時間かけて四条通から河原町通、寺町通を回って同神社に戻る。 午前10時、「わっしょい」の掛け声とともに子ども神輿が動きだした。和太鼓の力強い響きとともに、花傘娘、舞妓を乗せた屋台が華やかに続いた。久世六斎念仏、放下鉾の囃子方の演奏もありました。 |
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◆2011/7/17 久世駒形稚児の乗った馬が先導し、午後6時半、祭神を奉じた中御座、東御座、西御座の3基が八坂神社の石段下に集まった。歩道を埋める見物客が見守る中、輿丁(よちょう)が頭上で神輿を支える差し上げを披露し、「回せ」の合図で差し回しを繰り返すと、一帯は興奮に包まれた。 蒸し暑さが残る中、3基は飾り金具の音を鳴らして祇園界わいや河原町通の商店街などを勇壮に進み、深夜には御旅所にそろった。神輿は24日の還幸祭まで鎮座する。 |
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◆2011/7/16 宵山 祇園祭は今日、宵山を迎えました。六年ぶり土曜日ということで、四条通は身動きができないほど混雑を極めてました。一方、蛸薬師以北など、祇園囃子ののどかな場所では宵山らしい雰囲気のなかで時間が流れていました。 気温が高くて蒸し暑い日々ですが、明日、巡行を迎えます。 |
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◆2011/7/15 宵々山 祇園祭は今日、宵々山を迎えました。 各山鉾町ではコンチキチンの音色と人の熱気でいっぱいです。 厄除けのちまきも浴衣姿の子供たちが「これよりでます、常は出ません。今明日晩限り〜」と元気よく歌ってました。 |
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◆2011/7/13 社参の儀 祇園祭の山鉾巡行で先頭を行く長刀鉾の稚児が13日、「社参の儀」で八坂神社(京都市東山区)を参拝し、稚児のしるしとなる「杉守り」を授かった。 社参の儀は「お位もらい」とも言われ、この日から長刀鉾町内では稚児が神の使いとみなされる。 今年の稚児、白井滉平君(11)は午前10時、白馬に乗って町会所(下京区)前を出発した。青空の下、禿(かむろ)2人と長刀鉾保存会役員の先導で四条通を進んで神社に入り、本殿では緊張した表情で杉守りを受け取った。 白井君が頭につけたくじゃくの羽根飾り「蝶(ちょう)とんぼ」は約200年ぶりに新調した。狩衣(かりぎぬ)の下につける衣装も約40年ぶりに作り直し、瑞雲(ずいうん)に鳳凰(ほうおう)が舞う豪華な文様が袖を彩った。 |
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◆2011/7/12 曳き初め 完成した鉾を曳き始める「曳き初め式」が長刀鉾、函谷(かんこ)鉾、鶏鉾、菊水鉾、月鉾の5基で行われました。にわかに盛り上がる祇園祭ムードに拍車をかけています。 一般人が唯一曳けるとあって知る人ぞ知る祇園祭のいいところです。 曳初めは13日には放下鉾、船鉾、岩戸山、北観音山、南観音山であり、14日は橋弁慶山で舁初(かきぞ)めがある。 |
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◆2011/7/11 |
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◆2011/7/08 午後2時半、おしろいを塗った6人は、烏帽子(えぼし)と狩衣(かりぎぬ)姿で、雨の中を南楼門から境内に進んだ。本殿では、神職から1人ずつ名前を呼ばれると、大きな声で返事し、神木のスギの葉を包んだ「杉守り」や、綾傘鉾の稚児であることを認める任命状「宣状」を受け取った。森寿雄宮司から激励を受けました。 この後、本来は本殿の周りを3周するが、雨天のため本殿内を3周し、巡行の無事を祈願した。 綾傘鉾の稚児は保存会の推薦を受けた子どもから選ばれ、山鉾巡行(17日)では綾傘鉾の先頭を歩く。
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◆2011/7/05 長刀鉾、太平の舞 祇園祭の長刀鉾は、神事始めにあたる「吉符入り」を町会所で営みました。稚児の白井滉平君(11)が、山鉾巡行で舞う「太平の舞」を市民の前で披露しました。 神前には長刀鉾保存会の役員、囃子(はやし)方らが集まり、祭りの無事を祈願した。白井君は禿(かむろ)の白井大督君(8)、野村龍司君(11)と役員の前で舞った後、四条通を見下ろす2階窓に並んだ。 白井君は、ふじ色の振り袖に浅黄色のかみしも姿。囃子の音を背に堂々と身を乗り出して舞い、新調した打楽器「鞨鼓(かっこ)」の音をポンと響かせた。 元の鞨鼓は1817(文化14)年の作で劣化していた。松竹梅を描いた胴に馬の皮を張り、金地に唐草と華文を施して鮮やかな色合いを取り戻した。 |
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◆2011/7/04 損傷や色落ちが目立ったため、長刀鉾町内会の企業約30社の寄付で修復した。刃部分は長さ1・2メートル、幅は最大10センチ。輝きはスズ箔とほぼ変わらないが、はがれにくいという。 保存会の川那辺健治理事は「町内会の寄付でシンボルが修理されたのがうれしい。現代の町衆の心意気です」と話していた。鉾建てで長刀を取り付けるのは11日午後の予定。 また、稚児が頭に飾る「蝶(ちょう)とんぼ」と小さな鼓の「鞨鼓(かっこ)」を約200年ぶりに復元新調し、社参の儀の稚児衣装を新たに仕立てた。胴掛の飾り金具18点も修理した。5日の吉符入り以降、各行事で披露する。 |
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◆2011/7/02 山一番は霰天神山 祇園祭の山鉾巡行の順番を決めるくじ取り式が、京都市中京区の市役所で行われた。先頭の長刀鉾に続く「山一番」は8年ぶりに霰天神(あられてんじん)山が引いた。 午前10時、巡行する32の山鉾町と祇園祭山鉾連合会に正式加入した復興中の大船鉾の代表が羽織はかま姿でそろった。1人ずつ登壇してくじを引き立ち会いの門川大作市長が確かめた後、順番を告げる声が議場に響いた。「あとの巡行」の山一番は八幡山が引いた。 霰天神山の中西常雄さん(64)は8年前にも山一番のくじを引いた。「運がいいんですかね。ほっとしました。早く町内のみなさんに伝えたい」と喜んでいた。 くじ取り式は先頭争いを避けるため1500(明応9)年に始まった。順番が決まっている「くじ取らず」の8基を除いた24基がくじを引く。会場には市長から山鉾行事功労者として表彰を受ける男性13人も並んだ。今年は初めて妻を伴っての出席も認められ、祭りを支えた功績がともにたたえられた。 |
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◆2011/7/01 雨の中、稚児の白井滉平君(11)、禿の白井大督君(8)と野村龍司君(11)が父親や保存会役員と南楼門をくぐり、本殿で神事に臨んだ。稚児の白井君は、淡い黄色地に花いかだの柄をあしらった振り袖の「涼み衣装」で、朱傘をさしかけられて本殿の回りを3周し、りりしい表情で手を合わせていた。 また、函谷鉾や月鉾などの町会所では吉符入りの儀式があった。夜には囃子(はやし)方がけいこする「二階囃子」も始まり、コンチキチンの音色が山鉾町に響く。 |
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祇園祭の神幸祭と還幸祭で、馬に乗って神輿を先導する、久世駒形稚児が決まりました!発表は京都市南区久世の綾戸国中神社。 毎年、氏子の男児から選ばれるんですが、。今年は南区久世上久世町の古田麟也君(7)が神幸祭、同町の高橋昂平君が還幸祭でがんばってくれるみたいです。 父親に続いて親子2代で選ばれた古田君、「頑張って祇園祭に出ます」と話し、71年前に祖父が稚児を務めた高橋君は「お馬さんに乗るのは初めてだけど頑張ります」と力強く語ってました。 2人は、神社の御神体で馬の頭をかたどった彫刻「駒形」を身に付け、中御座の神輿を先導する。 |
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祇園祭の長刀鉾が今年の稚児を町内に迎える「結納の儀」が、伏見区の稚児白井滉平君の自宅で行われました。 床の間には「祇園牛頭(ごず)天皇」と書いた軸が掛けられ、神饌(せん)が供えられいます。八坂神社の神職が家の内外を清めた後、結納の儀が始まる。 稚児の両親や親族と長刀鉾保存会の役員が向かい合って座ったなかで、保存会の平田隆志代表理事が「末永くお納め下さい」と結納の品を渡すと、稚児の父親の白井幸夫さんは「家族一同、伝統と格式ある長刀鉾の稚児として、一生懸命頑張って務める覚悟です」と返礼した。 |
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◆2011/6/08 大船鉾は、焼失するまで後祭(あとまつり)巡行のトリを飾った。復興すれば、1966年から行われていない後祭(7月24日)の復活議論にも弾みがつきそうだ。 大船鉾の製作は京都市内の工務店で進められ、胴体は全長約6・5メートル、最大幅約3・3メートル、櫓に組む「船」の舳先(へさき)までの高さ約4・8メートル。ヒノキ材を用い、現在巡行している船鉾より一回り大きい。 直線的な部材の多い他の鉾と違い、曲線の部材を多用する「船」の製作が難しく、まず原寸大模型を作った。 胴体は完成後、下京区の京都ヨドバシビル内に展示する。船に載せる「屋形」は史料や専門家の意見を参考に形を検討し、できあがった順に展示する。 四条町大船鉾保存会(下京区新町通四条下ル)は4月に祇園祭山鉾連合会の33番目の正式会員に迎えられた。松居米三理事長(78)は「鉾が目に見えるようになり、復興が進んでいると実感がわいてくる」と目を細める。 |
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◆2011/6/03 祇園祭・長刀鉾の稚児・禿 祇園祭の山鉾巡行(7月17日)で先頭を行く長刀鉾の稚児と補佐役の禿(かむろ)が決まりました。 稚児は伏見区の同志社小5年白井滉平(こうへい)君(11)。禿は白井君の弟で同小2年の大督(だいすけ)君(8)と、西京区の同小5年野村龍司君(11兄弟が同時に稚児と禿に就くのは22年ぶりです。 稚児や禿は7月1日に祭りの無事を祈願する「お千度の儀」などを経て、山鉾巡行に臨む。 去年のニュース |
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>>巡行順はくじ引きによって毎年変わります。 |
長刀鉾 | 霰天神山 | 孟宗山 | 芦刈山 | 函谷鉾 | 油天神山 | 四条傘鉾 | 保昌山 | 月鋒 | 太子山 | 占出山 | 木賊山 | 鶏鉾 | 伯牙山 | 綾傘鉾 | 郭巨山 |
菊水鉾 | 白楽天山 | 山伏山 | 蟷螂山 | 放下鉾 | 岩戸山 | 船鉾 | 北観音山 | 橋弁慶山 | 八幡山 | 鯉山 | 役行者山 | 鈴鹿山 | 黒主山 |
浄妙山 | 南観音山 |