LOCAL INDEX  
祇園祭 最新ニュース 2012版

暑くなってきて、そろそろ祇園祭の季節です。祭は1ヶ月かけて行われる。もちろんメインの山鉾巡行はもうすぐ!それだけでなくても祇園祭の見所はまだまだたくさんあります。祭1ヶ月を追いかけてみます!



 
 

2012/7/16
33基の山鉾巡行
日本三大祭りの一つ、祇園祭はハイライトの山鉾巡行を迎えた。梅雨明けした夏空の下、豪華な懸装品で彩られた山鉾が、祇園囃子(ばやし)を奏でながら京都市中心部の都大路を進んだ。今年は、142年ぶりに大船鉾が唐櫃(からびつ)で巡行に加わり、しんがり(最後尾)を務めた。参加山鉾は33基となり、新たな歴史を刻んだ。午前9時、気温が早々と30度を超える中、音頭取りの威勢よい掛け声「エンヤラヤー」に合わせて、くじ取らずの1番手、長刀鉾が約11トンの巨体を揺らして四条烏丸を出発した。四条麸屋町では、同鉾の稚児が太刀をきらめかせて神域を示す注連縄(しめなわ)を一刀で切り、沿道から拍手が沸き起こった。

 四条通堺町では「くじ改め」があり、今年の「山一番」の郭巨(かっきょ)山から順次、裃(かみしも)姿の正使が古式にのっとりくじを奉行役に示した。「動く美術館」とも形容される優美な山鉾は、四条通を東進し、河原町通を経て御池通を西へ進んだ。交差点では、進行方向を90度変える豪快な「辻回し」があり、大きな歓声が上がった。

 33基の山鉾は、前(さき)祭23基と後祭10基に分かれる。このうち、後祭の巡行順が変更され、橋弁慶山が140年ぶりに先頭を行った。沿道の人出は約16万人(午後1時、京都府警調べ)で、昨年より4万人少なかった。

 祇園祭は八坂神社(東山区)の祭礼で、869(貞観11)年に疫病退散を祈った御霊会(ごりょうえ)が起源。「京都祇園祭の山鉾行事」は、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に登録されている。


2012/7/16
宵山40万人
京都の夏を彩る祇園祭は、3連休最後の16日、「宵山」を迎えた。京都市内はこの夏初めて猛暑日を記録。午後9時を過ぎても気温が30度を超す蒸し暑さで、市中心部の山鉾町は見物客たちの熱気に包まれた。歩行者天国(歩行者専用道路)となった烏丸通、四条通や、多くの露店が立ち並んだ室町通、新町通が特に混雑した。浴衣姿の囃子(はやし)方は山鉾の上で祇園囃子を奏で、厄除(やくよ)けちまきやろうそくを売る子どもたちは「常は出ません、こよい限り」と歌ってかわいらしい声を響かせた。

 宵山情緒を惜しむように、深夜まで山鉾町を巡る人たちの姿が見られた。人出は、3連休で最も多い約40万人(午後11時、京都府警調べ)だった。

写真は大船鉾町内


2012/7/13
久世駒形稚児社参の儀
祇園祭の神幸祭と還幸祭で神輿(みこし)を先導する久世駒形稚児の2人が13日、京都市東山区の八坂神社で「社参の儀」に臨んだ。

 久世駒形稚児は、南区の綾戸国中(くなか)神社の氏子から選ばれる。今年は神幸祭を山口匠君(7)、還幸祭を小西凌雅君(8)が務める。

 金色の烏帽子(えぼし)に薄紅色の狩衣(かりぎぬ)をまとった2人は、綾戸国中神社の宮司や氏子と列をつくって八坂神社の南楼門をくぐり、普段は扉を閉めている正面から本殿に入った。神事で稚児のしるしとなる「杉守り」を授かり、祭りの無事を祈願した。

 稚児は神輿を先導する際、ご神体の「駒形」を身につける。馬に乗ったまま境内に入ることが許されている。


2012/7/12
曳き初め
祇園祭の山鉾巡行を前に、建て終わった鉾の「曳初(ひきぞ)め」が12日、京都市内の中心部であった。祇園囃子(ばやし)が響く中、地元の子どもたちや観光客が手にした綱の重さを感じながら巨大な鉾を動かした。

 曳初めは函谷(かんこ)鉾、鶏鉾、月鉾、菊水鉾、長刀鉾の5基であり、うち4基が集まる四条室町周辺は多くの人でにぎわった。「エンヤラヤー」の音頭を合図にギシギシと音を立てて動きだし、参加者は鉾を見上げて迫力ある光景を楽しんだ。長刀鉾で綱を引いた洛央小6年の佐藤舞さん(11)は「すごく大きな力がいるんだと思った」と話し、杉野希恵さん(12)は「乗っていたお稚児さんの舞に迫力があった」と笑顔を見せた。

 山鉾の曳初めは13日にも、放下鉾、船鉾、岩戸山、北観音山、南観音山で行われる。


2012/7/5
長刀鉾吉符入り
祇園祭の長刀鉾は5日、神事始めの「吉符(きっぷ)入り」を京都市下京区四条通烏丸東入ルの町会所で営んだ。稚児の福井正賢君(10)が巡行中に鉾の上で舞う「太平の舞」を披露し、祭りの無事を祈った。

 町会所には、長刀鉾保存会の役員や囃子(はやし)方が顔をそろえた。儀式では、西村利男代表理事が稚児の福井君と禿(かむろ)の安藤健之助君(8)、福井正道君(8)の名前を記した吉符を神前に供えた。

 3人は役員に舞の仕上がりを確認してもらった後、四条通に面した町会所2階の窓に並んだ。囃子の音が響く中、涼しげなひわ色のかみしも姿の福井君は体を大きく外に乗り出して舞い、見守った市民から大きな拍手を受けた。


2012/7/3
神面改め
 祇園祭の船鉾の吉符入りに合わせた儀式「神面改め」が3日、京都市下京区新町通綾小路下ルの船鉾町会所であった。新旧の神面を神妙に掲げ、それぞれの変わらない姿を関係者が確かめた。

 15世紀の室町中期に作られた本面と、江戸後期に本面に似せて作られた写し面がある。巡行では、写し面を鉾のご神体「神功(じんぐう)皇后像」の人形に付け、本面は役員が持つ。午前10時20分、祇園祭船鉾保存会理事長の古川雅雄さん(75)が本面、町内会長の水越文和さん(59)が写し面を木箱から丁寧に取り出し、息がかからないように懐紙をくわえて前方に掲げた。

 理事長として初めて本面を掲げた古川さんは「町内が550年にわたって面を守ってきた努力の重みを感じました」と話した。


2012/7/2
くじとり式

祇園祭の山鉾巡行の順番を決めるくじ取り式が、京都市中京区の市役所市議会議場で行われた。先頭の長刀鉾に続く「山一番」は、郭巨(かっきょ)山が6年ぶりに引き当てた。
 議場には、33の山鉾町の代表が羽織はかま姿で座り、祇園祭山鉾連合会の吉田孝次郎理事長、八坂神社の森壽雄宮司が見守った。
午前10時に始まり、慣例で順番が決まっている「くじ取らず」を除く24基の代表が予備くじ順に登壇して、くじを引いた。
今年の山鉾巡行は、前(さき)祭(さきの巡行)23基と、それに続く後祭(あとの巡行)9基に加え、大船鉾が最後尾で唐櫃(からびつ)で参加することから計33基となる。

 また、後祭のくじ取らずの巡行順が変更され、これまで先頭だった北観音山に代わり、橋弁慶山が140年ぶりに先頭を進む。最後尾だった南観音山は中ほどに配置された。

 くじ取りは、1500(明応9)年に始まった伝統行事。
巡行順は最下部に


2012/7/1
長刀鉾・お千度の儀
京の夏を彩る祇園祭が、幕開けし、八坂神社では、祇園祭の長刀鉾(下京区)の稚児や保存会役員が祭りの無事を祈願する「お千度の儀」が営まれ、多くの山鉾町で神事始めの吉符入りがあった。

 雨の中、振り袖とはかまの「涼み衣装」をまとった稚児の福井正賢君(10)が、禿(かむろ)の安藤健之助君(8)と福井正道君(8)と南楼門から境内に入った。

 本殿の神事で稚児を務めることを報告した後、保存会役員たちと本殿の周りを歩いて3周した。


2012/6/23
長刀鉾・結納の儀

祇園祭の長刀鉾(京都市下京区四条通烏丸東入ル)が、今年の稚児を町内に迎える「結納の儀」が、同区内で行われ、稚児と禿(かむろ)の親が大役を引き受ける決意を長刀鉾保存会の役員に伝えた。

 稚児福井正賢君(10)は木津川市在住のため、本籍地でもあり、祖父の営む会社が店を構える下京区四条富小路のビル内の一室を稚児宅とした。床の間に表具を新調した「祇園牛頭(ごず)天皇」の軸を掛け、神饌(せん)を供えた。

 八坂神社の神職による清祓(きよはらい)の後、結納の儀が始まった。稚児と禿の両親や親族と、保存会役員が向かい合って座り、西村利男代表理事(62)が「いく久しくお納め下さい」と結納の品を渡すと、稚児の父親の福井正興さん(40)が「大役を無事に務められますよう精進して参る覚悟です」と返礼した。


2012/6/16
大船鉾、狩衣公開

今年の祇園祭・山鉾巡行に、142年ぶりに唐櫃(からびつ)で参加する大船鉾の保存会(京都市下京区新町通四条下ル)が、神体の神功皇后の人形に着せる衣装を新調し、16日発表した。透き通るような顕紋紗(けんもんしゃ)と呼ばれる技法で、純白の狩衣(かりぎぬ)を仕立てた。

 衣装は、身丈約1・5メートル、裄丈(ゆきたけ)約1メートル。白地に金糸で文様をあしらった。形を保つには硬い絹糸が必要なため、愛媛県西予市野村町の座繰り糸を使った。桐塑(とうそ)人形作家の人間国宝林駒夫さんが監修、西陣織メーカー「渡文」(上京区)の職人が半年がかりで織り上げた。また、神体人形の脇を固める人形、磯良(龍神)の人形衣装も新調した。製作費は計630万円で、京都府の補助を受けた。

 保存会の松居米三理事長(79)は「唐櫃巡行をする記念すべき年に神体衣装を新調でき、感無量です」と話した。7月13〜16日に町内である会所飾りでお披露目する。

 大船鉾は、かつて4体の人形を載せて巡行した。うち3体は幕末の大火で焼失し、神面を取り付ける神功皇后の人形だけが残っている。2年後の完全復興を目指して、鉾を製作している。


2012/6/16
久世駒形稚児決まる

祇園祭の神幸祭(7月17日)と還幸祭(同24日)で、馬に乗って神輿(みこし)渡御を先導する「久世駒形稚児」が決まり、15日、京都市南区久世の綾戸国中(くなか)神社が発表した。

 今年は、神幸祭で南区久世上久世町の会社員山口豊さん(44)の長男匠君(7)=久世西小1年=、還幸祭は同上久世町の消防士小西立紘さん(27)の長男凌雅君(8)=同小2年=が務める。

 2人とも父に続いて大役を担う。山口君は「選ばれてうれしいです」、小西君は「馬から落ちないように頑張ります」と話し、それぞれ「ぶじおちごさんができますように」と絵馬に書いた。

 久世駒形稚児は、八坂神社とゆかりの深い綾戸国中神社の氏子の家から選ばれる。馬の頭の形をした彫刻「駒形」を身につけて神輿を先導する。


 

2012/6/11
露店規制

今夏の祇園祭で見物客の安全確保のため、京都府警が露店の規制に乗り出すことが、露店組合の関係者らへの取材で分かった。兵庫県明石市の花火大会事故などを踏まえて雑踏事故を防ぐ狙いで、祇園祭で出店規制に取り組むのは初めて。

 祇園祭は宵々々山から宵山までの夜間、市中心部が歩行者天国になる。露店区域は南北の高辻通―御池通、東西の東洞院通―西洞院通の範囲で昨年は約850店が出店した。約45万人が訪れた昨年の宵山は四条通などが著しく混雑した。

 組合関係者らによると出店区域にある全交差点から5メートル以内の道路と烏丸通四条―綾小路間の出店がそれぞれ全面規制される見通し。さらに新町通と室町通は道路片側のみを出店させる方向で調整が進んでいるという。

 祇園祭山鉾連合会の吉田孝次郎理事長は「これまで事故がなかったのが不思議なくらいだった。祭りの情緒を楽しんでもらいたい」と話す。

 一方、祇園祭などに出店する露天商でつくる五条露店組合の北橋斉組合長は「露店は昨年より200店余り減る。生活がかかっている。何十年も大事故はなく、突然の規制は不満だ」と反発している。


大船鉾

2012/6/08
大船鉾 唐櫃で巡行復帰 142年ぶり

幕末の大火で失った鉾を製作中の祇園祭・大船鉾(京都市下京区新町通四条下ル)が、今年の山鉾巡行(7月17日)に「唐櫃(からびつ)巡行」の形で参加することが12日、分かった。神面を木製の唐櫃に納め、担いで都大路を進む。1870(明治3)年に唐櫃巡行して以来、142年ぶりの復帰となる。大火で焼失した山鉾の多くが、唐櫃巡行の数年後に山鉾を再建しており、33基目の鉾の完全復興へ機運が高まる。

 大船鉾は、かつて後祭(あとまつり)の最後尾を進んだ。1864(元治元)年の禁門の変(蛤御門(はまぐりごもん)の変)の大火で鉾が焼失したが、神面と懸装品の一部は残った。

 計画では、明治期に使った唐櫃(縦41センチ、横76センチ、奥行き46センチ)に神面を納め、棒を渡して担ぎ、「大船鉾」ののぼりを先頭に町衆が裃(かみしも)姿で歩く。囃子(はやし)方を伴い、他の山鉾とともに進む。

■「完全復興」に弾み

 四条町大船鉾保存会は昨年、大船鉾の再建に取りかかった。製作途上の鉾を京都ヨドバシビル(下京区)に展示し、資金協力を募っている。焼失から150年の節目となる2014年の完成と完全復帰を目指している。

 松居米三理事長(79)は「また一歩、前進した気持ちだ。巡行参加は明治3年以来の町内の希望。先人たちにもしっかりと報告したい」と話している。

 焼失後の大船鉾は、明治初期に唐櫃巡行し、鉾の再建を試みたが、その前年に町内の番組小学校の建設、運営費用を負担した。76年に学校が移転してさらに費用がかさみ、77年に町内の財産である町家(ちょういえ)を売却。資金が回らず、休み鉾となっていた。

<唐櫃巡行>

 巡行に出られない山鉾に代わり、御神体や鉾頭を唐櫃に入れて参加する巡行の形の一つ。幕末から明治初期に掛けて、南北の観音山や鈴鹿山など、多くの山鉾が経験した。近年事例はない。


二階囃子
2012/6/06 
祇園祭・長刀鉾の稚児・禿

祇園祭の山鉾巡行で先頭を進む長刀鉾の稚児と補佐役の禿(かむろ)が決まり、長刀鉾保存会が発表した。

 稚児は木津川市の同志社国際学院初等部4年福井正賢(まさよし)君(10)、禿は福井君の弟で同初等部2年の正道君(8)と北区のノートルダム学院小3年安藤健之助君(8)で、昨年に続いて兄弟が稚児と禿を務める。

 稚児の正賢君は「災害や病気が起こらないようにするお祭り。大切な役だと思うので頑張ります」と力強く語った。正道君は「3人で力を合わせたい」と緊張気味に話し、安藤君は「伝統ある祭りに参加できるのはうれしい」と笑顔を見せた。

 正賢君、正道君は茶製造販売会社「福寿園」副社長福井正興さん(40)の長男、次男。安藤君は法衣仏具製造販売会社社長安藤健作さん(40)の長男。3人は7月1日の「お千度の儀」などを経て巡行に臨む。



去年のニュース


2012年巡行順 

【さきの巡行】

(1)長刀鉾
(2)[16]郭巨(かっきょ)(3)[2]霰(あられ)天神山(4)[20]蟷螂(とうろう)山(5)函谷(かんこ)鉾(6)[6]油天神山(7)[15]綾傘鉾(8)[11]占出(うらで)山(9)[9]月鉾(10)[3]孟宗山(11)[10]太子山(12)[12]木賊(とくさ)山(13)[17]菊水鉾(14)[14]伯牙山(15)[7]四条傘鉾(16)[4]芦刈山(17)[13]鶏鉾(18)[18]白楽天山(19)[19]山伏山(20)[8]保昌(ほうしょう)山(21)放下(ほうか)鉾(22)岩戸山(23)船鉾

 【あとの巡行】

(24)[25]橋弁慶山(25)[24]北観音山(26)[29]鈴鹿山(27)[31]浄妙山(28)[30]黒主山(29)[32]南観音山(30)[27]鯉山(31)[26]八幡山(32)[28]役行者(えんのぎょうじゃ)山(33)大船鉾(唐櫃)

※緑字はくじとらず。 [*]は去年の巡行順

※ 緑字はくじ取らず ※赤字は傘鉾シード  緑太字 あと巡行はくじとらず山も移動

 

>>巡行順はくじ引きによって毎年変わります
山鉾別インデックス(2012年巡行順序)
長刀鉾 郭巨山 霰天神山 蟷螂山 函谷鉾 油天神山 綾傘鉾 占出山 月鋒 孟宗山 太子山 木賊山 菊水鉾 伯牙山 四条傘鉾 芦刈山 鶏鉾
白楽天山 山伏山 保昌山 放下鉾 岩戸山 船鉾 橋弁慶山 北観音山 鈴鹿山 浄妙山 黒主山 南観音山 鯉山 八幡山
役行者山 大船鉾