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祇園祭 最新ニュース 2013版

暑くなってきて、そろそろ祇園祭の季節です。祭は1ヶ月かけて行われる。もちろんメインの山鉾巡行はもうすぐ!それだけでなくても祇園祭の見所はまだまだたくさんあります。祭1ヶ月を追いかけてみます!



 

2013/7/15

響く囃子、弾む人波 祇園祭・宵々山に23万人


祇園祭は15日、宵々山を迎えた。3連休最終日の京都市中心部には、前日に続いて大勢の見物客が押し寄せ、祇園囃子(ばやし)が響く夏の風情を楽しむ人波が続いた。

 この日夜から露店が立ち並んだ烏丸通は、歩行者用道路(歩行者天国)となった午後6時以降、人で埋め尽くされた。新町通では、駒形提灯(ちょうちん)に照らされた山鉾と京町家が風情を醸し、山鉾の前で「ろうそく一丁献じられましょう」と歌う子どものかわいらしい声が響いた。一方で、油天神山や太子山の付近は露店がなく、人の流れも少なく、祭りらしい情緒があふれた。

 八坂神社(東山区)では、祭神を神輿(みこし)に移す宵宮祭があり、午後8時15分に境内の明かりがすべて落とされ、闇夜の中で厳かに儀式が行われた。

 京都府警によると、人出は午後11時現在、23万人で、昨年に比べて6万人少なかった。


2013/7/13

稚児、白馬で堂々 祇園祭・社参の儀


 祇園祭の山鉾巡行で先頭を切る長刀鉾の稚児が13日、「社参の儀」で八坂神社(京都市東山区)を参拝し、稚児のしるしとなる「杉守り」を授かった。

 社参の儀は、十万石大名の格式を授かることから「お位もらい」とも言われ、稚児はこの日から長刀鉾町内で神の使いとみなされる。

 午前10時、稚児の白井大督(だいすけ)君(10)は会所で強力(ごうりき)に担がれて白馬に乗り、神社に向けて出発した。道中の四条通では、大番傘を差し掛けてもらい、禿(かむろ)2人に先導されながら堂々と進行。頭に載せた金の立烏帽子(たてえぼし)や華やかな水干の衣装が沿道の注目を集めた。

 神社に到着後は、長刀鉾保存会の役員と本殿に上がっておはらいなどを受け、17日の巡行に向けて気持ちを新たにした。


2013/7/10

炎天下に響く槌音 祇園祭「鉾建て」始まる

 祇園祭のハイライト、山鉾巡行を1週間後に控えた10日、京都市の中京、下京両区の四条通周辺で、巨大な鉾を伝統技法で組み立てる「鉾建て」が始まった。職人たちは、額に汗しながら木部を組んで縄を掛け、槌音(つちおと)を響かせて鉾の土台となる櫓(やぐら)を組み上げた。

 早朝から、長刀鉾と、「鉾の辻」とも呼ばれる四条室町周辺の函谷(かんこ)鉾、鶏鉾、月鉾の各会所に、保存会員と手伝い方と呼ばれる職人たちが集まり、収蔵庫から鉾の部品を屋外に運び出した。

 くぎを1本も使わず、縄だけで固定する「縄がらみ」の技法で組み立てた。その際、木部をよりきつく縛るため、木槌を打ちながら縄を掛けた。11日には、全長20メートルを超す鉾の真木(しんぎ)が取り付けられ、通りにそびえる。

 14日までに、再建中の大船鉾を除く32基の山鉾がそろう。12日と13日には曳初(ひきぞ)めがある。


2013/7/5

無事祈る稚児の舞 長刀鉾・吉符入り



太平の舞を披露する稚児の白井大督君(中央)と禿の2人(5日午後3時35分、京都市下京区・長刀鉾町会所 祇園祭の山鉾巡行で先頭を進む長刀鉾の神事始め「吉符(きっぷ)入り」が5日、京都市下京区四条通烏丸東入ルの長刀鉾町会所で営まれ、稚児が巡行当日に鉾の上で舞う「太平の舞」を披露した。

 長刀鉾保存会の役員や囃子(はやし)方など約60人が参列した。稚児の白井大督(だいすけ)君(10)と禿(かむろ)の山代悠史(ゆうし)君(9)、宇野慎一郎君(8)の名前を記した吉符を祭壇に供え、祭りの無事を祈願した。

 囃子の音色が響く中、白塗りで口元に朱をさした3人が、四条通に面した町会所の2階の窓辺に並んだ。華やかな振り袖と、「蝶(ちょう)とんぼ」の冠をつけた稚児が、囃子の曲に合わせて両手を広げたり、窓の外に体を大きく乗り出すと、見守った市民から拍手が沸き起こった


2013/7/3


177年前の二番水引新調 祇園祭、「神面改め」も

 祇園祭の船鉾の吉符入りに合わせ、古くから伝わる神面の無事を確かめる「神面改め」の儀式が3日、京都市下京区新町通綾小路下ルの船鉾町会所で行われた。また、177年前の二番水引が復元新調され、披露された。

 船鉾町には室町中期に作られた本面と、江戸後期の写し面が伝わる。17日の山鉾巡行では、写し面はご神体の神功(じんぐう)皇后像に付け、本面は役員が持って鉾に乗る。

 午前10時の神事の後、祇園祭船鉾保存会代表理事の古川雅雄さん(76)が本面、町内会長の水越文和さん(60)が写し面を木箱から慎重に取り出した。息がかからないよう口に懐紙をくわえ、二つの面を並べるように掲げて無事を確認した。本面は15、16日に町会所で展示される。

 復元新調された二番水引は、鉾の船体上部を囲うように飾る。岩にしぶきを上げて打ち付ける波の図柄で、かつての水引の色合いを鮮やかに再現した。

 鉾の左右を囲う水引は横各5・5メートル、正面を飾るものが横0・6メートル。縦はいずれも0・3メートル。1900万円をかけて、左京区の川島織物セルコンと上京区の刺繍(ししゅう)職人樹田紅陽さん(65)が製作に当たり、総詰め刺繍で仕上げた。以前の二番水引は江戸後期の1836(天保7)年作で、退色が著しく、縮みも生じていた。


2013/7/3


太子山の荷茶屋復活 祇園祭、半世紀ぶりに巡行随行

 祇園祭の山鉾巡行で、かつて参加者をお茶でもてなすための茶道具を担いで運んだ「荷(にない)茶屋」を、太子山保存会(京都市下京区油小路通仏光寺下ル)が復元新調した。今年の巡行で約半世紀ぶりに復活する。

 荷茶屋は、てんびん棒で担ぐ二つの箱の中に風炉釜や水差し、茶わんなどを入れたもので、巡行中の休憩などに使われた。江戸時代の絵図にも見られ、複数の山鉾の後に続いていた。ところが、昭和30年代に冷たい飲み物が普及し、巡行時間が短縮されたこともあって、姿を消していった。

 太子山の荷茶屋は、高さ約1メートルの木製で、「太」の紋の透かし彫りが入っている。巡行で使われなくなって以降も町内の蔵で保管されてきたが、傷みが目立つため、京都府の補助などを受け約160万円かけて新調した。

 新しい荷茶屋は、宵山期間中(7月14〜16日)に、町内の秦家住宅で太子山の懸装品とともに無料で展示するほか、17日の巡行で台車に乗せて山に随行する。くじ改めが行われる四条通堺町では、てんびん棒で担ぐ姿を実演する予定という。

 太子山保存会の川口良正会長は「以前は巡行の途中に参加者が昼食をとり、お茶を飲むなど今よりものんびりしていた。時代とともに忘れられていった祭りの風流を感じてもらえたら」と話している。


2013/7/2


大黒天とえびす神、涼やかに 菊水鉾の前掛新調

 祇園祭の菊水鉾(京都市中京区室町通四条上ル)の前掛が新調され、1日の吉符入りの儀で関係者に披露された。波間に浮かぶ大黒天と、えびす神を象徴する図柄が、涼やかな印象を与えている。今年の巡行から使用される。

 前掛は、縦2・57メートル、横2・63メートルのつづれ織り。大黒天と唐子、加えてえびす神をイメージする船と釣りざお、タイなどを図柄とした。青金と赤金をふんだんに用いて立体感を醸し出している。

 菊水鉾保存会は再建60周年の記念として、左右の胴掛と後掛の新調も進めている。かつて「ゑびす山」を出し、鉾のご神体が「ゑびす神」であることにちなみ、江戸前期の絵師、狩野岑信(みねのぶ)の「七福神図巻」(東京都・板橋区立美術館所蔵)を基に作成する。猪田浩市保存会理事長(66)は「先人への感謝の気持ちと、鉾継承の願いを込めています」と話した。

 菊水鉾は、幕末の大火で焼失。1953(昭和28)年に再建され、巡行に復帰した。


2013/7/2


祇園祭が幕開け、17カ町で吉符入り

 日本三大祭りの一つ、祇園祭が1日、幕を開けた。京都市の中京、下京両区にある山鉾町では、神事始めの儀式「吉符入り」が行われ、祭りの無事を祈った。

 昨年の巡行の順番を決めるくじ取り式で「山一番」だった郭巨(かっきょ)山(下京区四条通西洞院東入ル)では、午前10時、保存会や町内の役員ら計10人が町会所に集まり、吉符入りの儀式に臨んだ。床の間には、「祇園牛頭天王(ごずてんのう)」の軸を掲げた祭壇が設けられ、八坂神社(東山区)の神職からおはらいを受けた。平岡昌高会長(67)は「いつもと変わらず、無事であるようにと祈りました。今年も山一番だったら、なお良いかと」と話した。

 山伏山(中京区室町通錦小路上ル)は、午後2時に吉符入りし、収蔵庫前に設けた大きな茅(ち)の輪の前で山伏による祈祷(きとう)を受けた。

 祇園祭の山や鉾を持つ町内は33あり、このうち17カ町で1日に吉符入りがあった。残りの山鉾町は、10日までに吉符入りを済ませ、17日の山鉾巡行に向けて準備を進める。


2013/7/2


山一番、2年連続「郭巨山」 山鉾巡行くじ取り式

祇園祭の山鉾巡行(17日)の順番を決めるくじ取り式が2日、京都市中京区の市役所市議会議場で行われた。先頭の長刀鉾に続く「山一番」は、2年連続で郭巨(かっきょ)山が引き当てた。2年連続は、1975、76年の山一番だった占出(うらで)山以来、37年ぶり。

 33の山鉾町の代表が、羽織はかま姿で整然と座り、八坂神社の森壽雄(ひさお)宮司、祇園祭山鉾連合会の吉田孝次郎理事長らが見守る中、午前10時に始まった。

 慣例であらかじめ順番が決まっている「くじ取らず」の9基を除き、前祭(さきまつり)の18基と、後祭の6基の代表が、予備くじ順に登壇してくじを取った。

 「山一番」を取った郭巨山保存会員の西川直人さん(34)は「くじに書かれている『壹(いち)』の字を2回も確認して読み上げました。山一番は大変名誉なこと。しかも2回連続になったことに驚いています」と話した。

 くじ取り式は、巡行の先陣争いによる混乱を避けるため、応仁の乱後に山鉾が復興した1500(明応9)年に始まった伝統行事。

■今年の巡行順は次の通り。


2013/7/1

稚児りりしく「お千度の儀」 祇園祭が幕開け

祇園祭の長刀鉾(京都市下京区)の稚児らが祭りの無事を祈願する「お千度の儀」が1日、東山区の八坂神社で営まれた。各山鉾町でも神事始めの吉符(きっぷ)入りが行われ1カ月にわたる祇園祭が幕を開けた。

 午前10時前、稚児の白井大督(だいすけ)君(10)が父親に手を引かれ、稚児を補佐する禿(かむろ)の山代悠史君(9)、宇野慎一郎君(8)と一緒に南楼門をくぐった。振り袖とはかまの「涼み衣装」に身を包んだ白井君は、本殿の神事で稚児を務めることを報告した後、朱傘をさしかけられて本殿のまわりを3周し、りりしい表情で手を合わせていた。

 また、函谷(かんこ)鉾や月鉾など17の山鉾町では町会所で吉符入りの神事が営まれた。夜には祇園囃子(ばやし)を練習する「二階囃子」も始まり、祭りの風情を盛り上げる。


2013/6/24

連なる歌仙 水引豪華 祇園祭 占出山、復元新調


祇園祭の占出(うらで)山(京都市中京区錦小路通烏丸西入ル)を飾る水引3枚が182年ぶりに復元新調され、24日、中京区の祇園祭山鉾連合会で関係者に披露された。三十六歌仙や唐花文様をあしらった豪華な刺しゅうがよみがえった。

 水引は、山の胴体側面を飾る幕で、正面(縦69センチ、横182センチ)と左右(各縦69センチ、横249センチ)の計3枚。元の水引は1831(天保2)年制作と伝わる。退色や傷みが目立ち、二十数年前から使っていなかった。新しい水引は、龍村美術織物(中京区)が2007年から手掛けた。制作費は約8千万円。

 上部は「三十六歌仙図」の絵柄で、金地に65色の絹糸で刺しゅうを施し、柿本人麻呂や紀貫之など奈良・平安時代の歌人とそれぞれの和歌を立体感あふれる技法で表した。下部は、緋(ひ)色の羅紗(らしゃ)地に円形やひし形などの唐花文様を配している。

 新旧の水引は、7月13日から占出山町内の神社境内で展示し、17日の巡行には新しい水引を使う。占出山保存会の岸田安雄会長(74)は「これだけの刺しゅうが施された水引は他に類がなく、日本に誇る祭りの懸装品として注目してもらえたら」と話している。


 

 

2013/6/22

放下鉾巡行参加へ 人数を確保 囃子方と対立保存会が新組織



祇園祭の放下鉾保存会(京都市中京区新町通四条上ル)が21日までに、下部組織として新しい囃子(はやし)方組織を設立した。鉾保存会は、一部の囃子方と対立したため、今年の山鉾巡行への参加が危ぶまれていたが、囃子方の人数を確保し、例年通り参加できる見通しとなった。

 鉾保存会によると、太鼓、笛、鉦(かね)を演奏する計20〜25人の囃子方を確保した。昨年の半数程度といい、「鉾保存会の囃子方組織の入会者だけが巡行で鉾に乗って囃子を演奏する」とする。

 ただ、例年、小結棚町にある放下鉾の会所で実施してきた「二階囃子」を今年は中止し、宵山に稚児人形や懸装品を展示する「会所飾り」は非公開、一般拝観者の鉾への搭乗も取りやめることを決めた。町内で二階囃子を実施しないのは、戦時中に中止して以来という。囃子は、7月13〜16日の曳(ひき)初めや宵山では鉾の上で演奏する。

 放下鉾では、昨年の巡行中に保存会役員と一部の囃子方が激しく言い争い、巡行帰路の新町通で囃子方が鉾に乗らず「空」で進んだことから対立。今年になって和解したが、当時の囃子保存会長らが囃子保存会を法人化したことに不信感を抱いた鉾保存会は、4月に囃子保存会に対し「囃子演奏を委託することはない」と通知した。鉾保存会内に新しい囃子方組織を作り、趣旨に賛同する囃子方を募っていた。

 一方、従来の囃子保存会は22日午後7時、中京区のハートピア京都で、12人による公開練習を実施する。「祇園囃子は鉾ごとに曲調や曲目が異なる。放下鉾の伝統のお囃子ができるのは私たちだけだと思っている」としている。


2013/6/15


久世駒形稚児、初の双子 大河君・日向君「かっこよく馬に」



 祇園祭の神幸祭(7月17日)と還幸祭(同24日)でそれぞれ馬に乗って神輿(みこし)を先導する2人の久世駒形稚児が決まり、15日に京都市南区久世の綾戸国中(くなか)神社が発表した。

 今年は南区久世川原町、会社員後藤彰さん(40)の双子の息子に決まった。神幸祭の稚児は三男大河(たいが)君(9)、還幸祭は次男日向(ひゅうが)君(9)で、ともに久世西小4年。長男遼馬(りょうま)君(11)も2009年に神幸祭の駒形稚児を務めている。杉浦匠宮司(54)によると、記録が残る昭和以降で、同じ年に双子が稚児となるのは初めて。

 この日、神社で奉告祭があり、2人が神前で祭りの無事を祈った。日向君は「すごい祭りの稚児に選ばれびっくりしました」。大河君は「かっこよく馬に乗りたい」と話した。

 久世駒形稚児は八坂神社(東山区)とゆかりの深い綾戸国中神社の氏子の男児から選ばれる。神幸祭と還幸祭で馬の頭の形をした木彫りの御神体「駒形」を胸に付けて馬に乗り、神輿を先導する。

【 2013年06月15日 23時20分 】


2013/6/12

長刀鉾、厳かに結納の儀



祇園祭の長刀鉾(京都市下京区四条通烏丸東入ル)が今年の稚児を町内に迎える「結納の儀」が12日、伏見区にある、稚児白井大督(だいすけ)君(10)の自宅で行われた。

 床の間には「祇園牛頭(ごず)天皇」と書いた軸が掛けられ、神饌(せん)が供えられた。八坂神社(東山区)の神職による清祓(きよはら)いの後、結納の儀が始まった。

 長刀鉾保存会の役員5人と、稚児の父親の白井幸夫さん(44)と親族、稚児を補佐する禿(かむろ)の父親の山代晃義さん(39)、宇野元庸さん(41)らが紋付き袴(はかま)の正装で向かい合って座った。

 保存会の西村利男代表理事が「幾久しくお受けいただきますよう」と結納の品を渡すと、白井さんは「大役を無事につとめられますよう精進する覚悟です」と答えた。


大船鉾
2013/6/11

大船鉾"今にも動く"  祇園祭・来夏巡行へ欄縁など新調


幕末の大火で焼失した鉾を復興中の祇園祭・四条町大船鉾保存会(京都市下京区新町通四条下ル)が、囃子(はやし)方が乗る「甲板」を囲う欄縁(らんぶち)と、音頭取りが握る力綱、鉾の曳(ひ)き綱を新たに作った。9日、下京区の京都ヨドバシビルに展示している製作途中の鉾に取り付けた。来夏の山鉾巡行に鉾での復帰を目指す保存会員たちは、綱を曳けば動き出すまでに復興が進んだ鉾の姿に感無量の様子だった。

 甲板の左右各7メートルと船首部分1メートルの欄縁は、黒主山保存会(中京区)からの寄付で製作された。漆塗りの黒蝋色(くろろいろ)仕上げで、黒光りしてひときわ輝いて見える。黒主山の清水優代表理事(60)は「後祭の仲間に加わった大船鉾の復興に貢献できてうれしい」と話す。

 力綱は2本あり、長さは各約1・9メートル。鉾の前面に立って前傾姿勢で「エンヤラヤー」の掛け声を発する音頭取りが握る。祇園祭の神輿の一つ、中御座を運営する三若神輿(しんよ)会の母体、公益財団法人「祇神会(ぎしんかい)」(中京区)の寄付で作った。曳き綱も2本あり、長さはそれぞれ約43メートル。麻製で、自前で製作した。

 大船鉾の復興はたくさんの厚意に支えられている。胴体の木部は京都青年会議所、製作中の船上の屋形は京都ライオンズクラブが寄付した。四つの車輪と車軸、鉾の重心を下げる大型の角材「石持」は、昨年11月に菊水鉾保存会から譲り受け、修理して利用する計画だ。大船鉾の松居米三理事長(80)は「皆さんのおかげです。完成はまだ先だが、鉾を動かせる機能が整ってきました」と感謝した。大船鉾は、焼失から150年の来夏、鉾での巡行復帰を目指している。今年の巡行(7月17日)には、昨年同様に鉾ではなく、唐櫃(からびつ)を担いで参加する。


大船鉾

2013/6/07

兄に続け 稚児に白井君 祇園祭・長刀鉾 禿に山代君と宇野君


祇園祭の山鉾巡行(7月17日)で先頭を進む長刀鉾の稚児と補佐役の禿(かむろ)が決まり、長刀鉾保存会(京都市下京区)が7日に発表した。

 稚児は伏見区の同志社小4年白井大督(だいすけ)君(10)=医療用酸素製造販売会社社長白井幸夫さん(44)の次男。2年前、三つ年上の兄が稚児を務め、自らも禿として祭りに参加した。兄の姿が「とても格好良かった」と注連縄(しめなわ)切りの場面を一番楽しみにしており、「お兄ちゃんに負けないぐらい(鉾の上から)大きく乗り出してみたい」と意気込む。

 禿は北区の同小4年山代悠史(ゆうし)君(9)=印刷会社社長山代晃義さん(39)の長男=と、上京区の同小3年宇野慎一郎君(8)=茶道具販売会社社長宇野元庸さん(41)の長男=が務める。

 白井君とともに学校でミニオーケストラに参加しているという山代君は「しっかりと頑張れるよう(稚児を)サポートしたい」、宇野君は「鉾に乗ってみんなに踊りを見てもらうのが楽しみ」と笑顔で話した。3人は7月1日の「お千度の儀」などを経て巡行に臨む。


2012/10/24 

 祇園祭の後祭、2014年復活へ 保存会方針

 後祭の10の山鉾保存会の代表者が23日の会合で決めた。反対した保存会もあった。巡行路は決まっていない。

 かつて山鉾巡行は、八坂神社の神輿渡御(みこしとぎょ)に合わせて17日と24日の2度あった。「信仰か、観光か」の論争を経て、1966年に17日に一本化され、現在に至っている。

 14年の実施は、幕末に焼失するまで後祭のしんがりだった大船鉾の巡行復帰の計画に合わせた。神輿の露払いという、祭り本来の姿に返すという目的がある。また、4時間半かかる巡行の時間を短縮し、宵々々山から巡行までの4日間で約100万人が集中する観光客の混雑回避も狙う。

 後祭復活については、山鉾連合会の吉田孝次郎理事長が10年8月に言及した。11年5月に連合会に後祭巡行検討部会が設置され議論を続けてきた。取材に対し吉田理事長は「結果を重く受け止めている。単に昔に戻るのではなく、伝統を踏まえ、新しい後祭の形を創出したい」と話した。

 山鉾巡行は国の重要無形民俗文化財で、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産。今後、山鉾連合会の評議員会を経て、文化庁や京都府、京都市、府警などとの協議を始める。

 ■後祭巡行 かつては、三条通烏丸から東進、寺町通を経て四条通を西に進んだ。現在の後祭は橋弁慶山、北観音山、鈴鹿山、浄妙山、黒主山、南観音山、鯉山、八幡山、役行者(えんのぎょうじゃ)山と大船鉾。



去年のニュース


2013年巡行順 

【さきの巡行】

(1)長刀鉾
(2)郭巨(かっきょ)山(3)太子山(4)保昌(ほうしょう)山(5)函谷(かんこ)鉾(6)山伏山(7)綾傘鉾(8)蟷螂(とうろう)山(9)鶏鉾(10)油天神山(11)伯牙山(12)占出(うらで)山(13)月鉾(14)孟宗(もうそう)山(15)四条傘鉾(16)霰天神(あられてんじん)山(17)菊水鉾(18)芦刈山(19)白楽天山(20)木賊(とくさ)山(21)放下鉾(22)岩戸山(23)船鉾

【あとの巡行】

(24)橋弁慶山(25)北観音山(26)黒主山(27)浄妙山(28)役行者(えんのぎょうじゃ)山(29)南観音山(30)鈴鹿山(31)八幡山(32)鯉山(33)大船鉾(唐櫃)

※緑字はくじとらず。

※ 緑字はくじ取らず ※赤字は傘鉾シード  緑太字 あと巡行はくじとらず山も移動

 

>>巡行順はくじ引きによって毎年変わります
山鉾別インデックス(2013年巡行順序)
長刀鉾 郭巨山 太子山 保昌山 函谷鉾 山伏山 綾傘鉾 蟷螂山 鶏鉾 油天神山 伯牙山 占出山 月鋒 孟宗山 四条傘鉾 霰天神山 菊水鉾
芦刈山 白楽天山 木賊山 放下鉾 岩戸山 船鉾 橋弁慶山 北観音山 黒主山 浄妙山 役行者山 南観音山 鈴鹿山 八幡山
鯉山 大船鉾